ポンコツエスティマで行く 河口湖飛行館。3日目最終日。 [車でドライブ]
2017年8月29日 朝6時前。
スマホが発するけたたましいアラームで叩き起こされました。
あれ、7時半にセットしといたのになあ、とスマホを見ると。
初めて見るJアラート。
あ、やりやがった。
TVをつけると全チャンネルが北朝鮮のミサイル発射の特番。
「・・・・・あ」
この時最初に思ったのが不謹慎にも「今日朝7時半から、「けものフレンズ」の最終回じゃん。こりゃ延期か・・・・。タイマー追尾してくれるかなあ」でした。
で、7時半。TWITTERを見てると、他チャンネルがニュースを続ける中、テレビ東京はバタバタとニュースをまとめて終了。テレビの前で手に汗握って、セルリアンに食べられてしまったかばんちゃんの行く末を心配する子どもたちのために、なんと「けものフレンズ最終回」をむりやり放送したそうです。
そうです、と書いたのは、東海道新幹線が走っている、東海地方と関東地方の中間点いう好立地のはずの静岡、アニメに関しては殆どが放送されない僻地なので「けものフレンズ」も放送されてなかったからです。
さあ、これで心置きなく帰ることができます。
さあどっち行こうか?
とりあえずフェイスブックで教えてもらった、由比港の「浜のかき揚げや」さんに行ってみましょう。
国道1号線を東京方面へ少し戻りますが。
「え?由比港ってどこ?」
由比港、沼津港みたいな大きな港を想像していたので通り過ぎてしまいました。ほんとに小さな漁港です。
まあ、まだ朝9時前なので当然かき揚げやさんも開いてませんわな。場所だけ確認して引き返します。今度バイクでこよう。
このまま帰ってもいいんですが、学生時代に一度来ただけでその後来たことがない三保の松原と日本平へ寄ることに。
宿泊した駿河健康ランドを左に見て国道1号線から国道150号線で清水港方面へ。
9時半、三保の松原到着。ここへ来るのは学生時代にTL125で中部一周ツーリングの初日、三保の松原ユースホステルに泊まって以来だから43年ぶりです。まあ、歩けない母がいるのでトイレまで行って引き返しましたが。
せっかくここまで来たのでついでに灯台の方まで行ってみました。
ここには飛行場があると地図に書いてありましたがそこには砂浜があるだけ。
太平洋戦争の遺跡かあ。海軍の予科練があったそうです。
この清水灯台は日本初の鉄筋コンクリートの灯台だそうです。
岬から戻る途中、イートインのある惣菜屋で朝食。野菜カレーとそうめん、海老天とエビカツ。これで1000円弱なので普通に喫茶店でも入ればよかったかも。
国道150号線に戻り、今度は有名なのに一度も寄ったことがない日本平へ。
頂上の電波塔は雲の中でした。
今日は水道工事のため工事車両がたくさん入っていて、無骨なデジタルアンテナといい、頂上はとても観光地に見えませんねえ。
富士山はこっち・・と。
うーん何も見えん。視界を遮る樹木もなんとか整備できんものか。
しょぼい駐車場にトイレ、ちょっと寂れたお土産物屋さんという、典型的な昭和の観光地です。
売り物である富士山が見えない本日、ここが日本観光地百選第一位というのが納得いきませんでした。中国人観光客も来ていましたが、今日のこの時間しか来ることができなかった彼らはここをどう思っているんでしょう。
せめて頂上の一番いい場所を占拠している見苦しいデジタル電波塔の代わりに、視界を遮らずに富士山を眺めることができる展望タワー(スカイツリーのようにてっぺんにアンテナをつければいい)を建ててほしかったです。
再び国道150号線へ戻り、海岸線を御前崎に向かって走ります。いやあ、海沿いはいいねえ。ただ、すぐ横を走っている、4車線バイパスの下り車線へ、数カ所しか無い交差点からしか入れないのはどうにかならんのか。目の前のバイパスへ入るために結局日本平入り口まで戻る羽目になりました。
焼津の手前で国道150号線からさらに海側の県道416号線へ曲がります。
さてここは?
旧国道150号線。当時珍しかった海の上を走る道路「大崩海岸」です。
TL125での生まれて初めてのツーリングで、初日、御前崎の次にめざした観光地(中部の一枚地図にも名前が乗ってました)でした。
今では少し内側に掘られた日本坂トンネルでここを抜ける新国道150号線ができ、殆ど通る人もないですが、当時は御前崎から清水へ向かう唯一の道だったんです。
奥に見えるのがさらに古い旧国道。がけ崩れで見捨てられて、富山の親不知と並ぶ、海の上を走る珍しい国道が誕生したのでした。
国道150号線>県道31号線>県道224号線>国道1号線藤枝バイパスと結び、掛川の道の駅で大休止。
暑かったのでかき氷。
天然氷なのに350円とリーズナブルです。
母は苺、350円。
私と弟は練乳宇治金時400円。かんなで薄く削ったような舌触りの良いかき氷でした。
ただ、おじさん一人でパン屋のレジまでやってるもんだから、3個できるまで非常に時間がかかって。日曜日はどうやってこなしてたんだろう。
14時、袋井ICから東名へ。
浜名湖SAで最後の休憩をして豊田ジャンクション>伊勢湾岸自動車道の東側終点、豊田東ICで豊田市内へ。
スーパーで晩御飯を買って17時無事帰宅。
オド143930km 本日の走行245km 総走行距離667kmでした。
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私、もう10年以上貴方のブログ見続けてます。
お名前も、たしか何かの折に分かってしまったんですが、Sさんとか?。
私も、貴方と同世代、62歳です。河口湖、航空博物館にゼロ戦、隼が展示してあるとは知りませんでした。飛行可能ではないですよね?
現在里帰り飛行している、米国籍のゼロ戦とは
別の機体ですよね。たしか、そのゼロ戦の所有者は日本人だそうですが、飛行可能状態にしておくのに、年間、億単位の費用がかかるとかで
その方も困っているとか。たしか、数十年前に
米国から返してもらった、4式戦 疾風も飛行可能だったものを野ざらしにして、飛べないようにしてしまいました。飛行機は飛んでなんぼですから、あの4式戦は返す返すも残念です。
ゼロ戦も4式戦も、我々世代、そして、日本人の心の奥底にあるはずの大きな文化遺産ですから、国が、飛行可能状態に管理してあげなければならないと思いますね。
by サカタキ (2017-09-06 22:35)
サカタキさんありがとうございます。
この博物館にあるのは法律的には飛行可能ではありませんが物理的には外板や主桁は最新の材を使い、飛行可能な強度を持たせて、栄エンジン(隼はハ25:栄と同じ)で飛べるところまでレストアしてあるそうです。栄12型エンジンも稼動状態で展示してありました。
あの米国籍の零戦の機体は部品を忠実に新造し、発動機はアメリカのP&W製R1860というエンジンですのでここの機体ほどのオリジナル度はないと思いますが、日本人所有というのが素晴らしいと思います。維持に数億円かかるのは法律をクリアーするために必要な金額(飛行場の保管料、免許更新、車検のようなもの、パイロットの確保等)ですので、ここのように自分の土地で展示するだけならちょっとお金持ちならできることなんですが。日本人は、特にお国はそういうことにお金をつぎ込むのはいやみたいですね。本来なら元中島飛行機の富士重工や、川崎重工、三菱などが博物館作るべきですよねえ。
あと、名前をバラされるのはバイクの盗難等の餌食になるので勝手に消させていただきました。(ここでは珍しい名字ですので)他意はありませんのでよろしくお願い致します。
by MHR (2017-09-06 22:38)
レストア機は飛ばせないんですか。
流石は頭の固い日本ですねえ・・
まあ、国土が狭いから、もし落ちたらとかあるんですかねえ・・
でも、こちら製ゼロ戦は、住宅地とまではいかないけど、農地や商業地の近くの上空飛びますけどねえ・・
N〇Kワールドのテレビ番組でやってましたけど、文化財の保護ってすごくお金が掛かるので、少子高齢化で税収先細りの日本ではお国には無理みたいです。
京都あたりの国宝級の文化財でも大変みたいなので。
採算取れるように商業化しないとダメだって言ってました。でも、寺社仏閣と違ってゼロ戦その他はいま流行りの外国人観光客には受けないだろうから、大変ですかねえ・・
by 二兎を追う男 (2017-09-07 03:59)
二兎を追う男さんありがとうございます。
日本で飛ばすにはまずアメリカの検査を通って、パイロットもアメリカで零戦を飛ばす免許を取って。という手続きが必要みたいです。
日本では戦前の文化財は大事にしますが、なぜか戦中の文化財(この場合航空機などを含む)はなかったものとして扱うのが正義のようです。戦艦武蔵なんかそうでしたよねー。せっかくポール氏が引き上げしてあげようかていってるのに・・・。
京都なんか今の駅をぶっ壊して木造駅舎にして、車の出入り禁止して観光バスとタクシー(できれば電気かハイブリット)以外は出入り禁止にしてしまえばもっといい観光地になれるのにと思います。きっと誰かが反対するんでしょうが。
by MHR (2017-09-08 00:36)
こんにちは。
しばらく出先だったので遅コメです。
博物館の館長さんと、だいぶ前に亡くなったウチのオートバイクラブの理事長(元麻布の自動車塗装のプロ)が、知り合いで、レストアの相談とかにものってたという話(最新鋭のNC加工の旋盤とかを使っても、当時のエンジン関連の職人技が再現できないとか裏話も少し)を聞いていました。
飛べる零戦は、オリジナル栄エンジンの21型(アメリカでセルスターターを装着)は、アメリカの博物館が所有>95年に里帰り
今年、幕張とかで飛んだ日本人の所有の零戦22型は、ニューギニアとかにあった残骸&部品を集めて、ロシア(インチではなくメートル法だから)の工場で、リバースエンジニアリングで新造された(エンジンはアメリカ製)ものだそうです。
戦中の文化財については、戦争に協力した反省から?捻じ曲がったマスゴミとかが”無かった事”にしたい…(烏賊自粛)
戦勝国のアメリカやイギリスのみならず、同じ敗戦国の獨逸にもメッサーを飛ばす財団があるという話も
技術遺産なんだから、正当に後世に残すべきだと思いますけど
by HIRO (2017-09-25 15:15)
HIROさんY県出張ご苦労さまでした。栄で飛ぶPOFの零戦は龍ケ崎で見ました。CAFのXー133と同じP&Wエンジンの今回の22型はリバースエンジニアリングですが、残骸から何年もかけて復活させた情熱は同じだと思います。70年後の現在でもレシプロ最速は二次大戦が産んだエンジンですよね。もうこれ以上のものはこの世に生まれることがなく、当時の若い技術者が知恵を絞り、湯水のようにお金をかけて作られた最高の技術遺産をないがしろにすると言うのは理解できません。私が億万長者だったらなあー。
by MHR (2017-09-25 23:56)