1993年8月7日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 新たな資料が出てきました [北海道ツーリング]
このXL250Rで行った初めての北海道ツーリングのメモが見つからず、写真と地図への書き込みのみで推測して書いたこの記事。
当時記録魔だった私(当時の出納帳なんかが今でもとってあります。)のことなのでどっかにメモがあるはずと、バイクの整備記録のある本棚を探して見つけた、このXL250Rの整備記録。
北海道でのガソリンとその他のレシートが貼ってありました。燃費記録まで。
備忘録 エスティマ燃費測定 伊那谷往復分 [H8(96)年トヨタエスティマTCR10W]
先日行った伊那まで往復したエスティマの燃費測定。行きは全部下道、帰りは駒ヶ根IC>飯田山本ICを高速であとは下道。
オド148155㎞(349㎞) 133円X40.8リッター=5426円
リッター8.6㎞。
1993年8月11日と12日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 道内5日目と6日目最終日 台風7号の暴風下小樽港へ。 [北海道ツーリング]
*今日改めて自分のホームページ見てたら、北海道のページではなくXL250Rのページにこのツーリングの前日譚と最終日の事が書いてあって今回書いたことと結構差異があったので、当時の空気の保存の意味も兼ねて当時の文章そのままコピペすることにしました。ですので最初に書いたやつは忘れてください。口調の違いは徐々に修正しますので目をつぶってー。あ、銭湯も行ったっけ、少しずつ思い出してきたぞ。
一度読んだ方も、初日の準備編の与太話をほぼ書き直したのでぜひ読み直してください。
一晩中吹き荒れた暴風雨も朝には少し収まり、なんとかテントを撤収、あと2日北海道にいる弟と別れて、12日午前10時発の新日本海フェリーに乗るべく一路小樽を目指して出発しました。(結局このあとも12日時点で襟裳沖にあった台風7号の影響で暴風雨は収まらず、弟は釧路のホテルで2日間こもることになったそうです。ひょっとしたらいい引き際だったのかも)
塘路湖あたりはもうピークを過ぎたみたいでしたが、釧路へ出て海岸線を見ると海は大荒れです。
午前8時、国道38号線の白糠町でカニを購入し、親父と家におく・・・送ろうとしたらお金が足りず、お店の車で郵便局まで連れて行ってもらってお金をおろしました。(うーん、オレオレ詐欺みたいな展開)9時半出発。
国道38号線をずっと西進し、雨と強風の中、浦幌町、幕別町(ガス補給、192km/6リッター、756円、32km/リッター)、芽室町と風に逆らって全開走行、清水町から国道274号線で日勝峠を越えます。峠は濃霧で気温9度!とても真夏の気温とは思えません。あまりの寒さに峠の公衆トイレに入ったら、入り口を入ったところがベンチ付きのロビーになっていて、その奥にもう一枚自動ドアがあり、なんと暖房が入ってます。しかも内地ではまだ普及してない暖房便座付き。すごいぞ北海道。しばらく温まったあと、峠を降りた日高町で来たときのルートとクロスして、前年に開通したばかりという国道274号線の日高<>夕張ルートを快走します。
(91年の地図では鵡川にかかる福山大橋から日高町間は点線道路でまだ不通)
夕張、追分町、由仁町と抜けて途中穂別のAコープからじゃがいもととうもろこしを母へ送付。札幌市で午後3時ガス補給。207km/6.2リッター、766円、33.4km/リッター、最高記録です。ガソリンスタンドではお兄さんが強風に逆らってガソリン入れるのに苦労してました。(まだセルフスタンドは無い時代)ここまで暴風の真っ只中、全力で走ってきた為ヘトヘトです。
午後5時頃小樽着。・・・だけどこの日どこに泊まったか記録も記憶もありません。多分この日のフェリーが欠航したため、あぶれた乗客のためターミナルを開放してたんじゃないかなと。(結局この日は1便欠航したため船1隻分の客があぶれて、彼らは全員キャンセル待ち扱いとなったのです)
本日の走行距離 390km
1993年8月10日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 道内4日目 層雲峡>釧路塘路湖 台風7号北海道へ [北海道ツーリング]
昨晩隣のテントに文句言った手前、早朝に出発しなくてはカッコつかないので、4時頃起き出してテントを撤収、5時出発です。
周りのライダーも同じ気持ちらしく、通常ならば道路までバイクを押して行ってそこでエンジンかけるのを、駐車場でバイクのエンジンを一斉に掛けて暖機運転。(当時のバイクは暖機運転が必要。)夜遅くまで騒いでたファミリーたちはきっとブツブツ文句言ってたでしょうねえ。次々と出発するライダーたち。こっちのバイク駐車場に隣接するサイト、出発するときには例のアベックのテント2つだけがぽつんと残ってました。
層雲峡は北海道では珍しく空が狭い観光地です。
20分かけて登山して
双瀑台という展望台から見る「銀河の滝」と「流星の滝」。
国道39号線を南下し、大雪湖のダムから国道37号線へ、北海道の道路最高所である三国峠を目指します。
1993年8月9日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 道内3日目 富良野>層雲峡 [北海道ツーリング]
道内3日目です。今日は旭川のJTBに行き、帰りのフェリーを予約したいと思います。
テントを撤収し、まずは今ブームのルルールルルーの「北の国から」のオープンセットへ。
国道を行ってもつまらないので、山沿いを走るダートロードで黒板五郎のうちへ。例の物語で、蛍たちが育った家のレプリカがそのまま残してあります。こんな田舎にこれだけの観光客を呼んだ、あの物語の功績を思い知りました。ただ、これ以降あのテーマソングが頭の中でリフレインするのには参りました。
富良野を離れ、美瑛町の手前にある深山峠でトイレ休憩。パッチワークの丘で有名な美瑛を走り抜けます。
丘を見渡せる場所から見ると本当に色とりどりのパッチワークのよう。
ここが一番北海道らしいなあ。(とこのときは思ったのですよ。後年に道東行くまでは。)
遠くに大雪山。今からあそこに向かうわけですが。
その前に旭川市街に赴き、帰りのフェリーをなんとかしないといけません。旭川駅前のJTBでフェリーの空きを調べてもらいました。
「明後日の午前10時の小樽発舞鶴行きなら1台分空いてますね。」
え?明後日?ということはあと2日(最終日は朝10時まで)しか北海道いられないの?
そこは休みが決まってる悲しき会社員。選択肢はないので血の涙を流しながら泣く泣く申し込み、チケットを受け取りました。
ただ携帯電話など一般人が持ってない時代。(しかも当時の携帯は電話とメールしかできなかったし)キャンプ場泊のみのツーリングで情報源もなく、刻々と近づいてくる災難を知る由もなくツーリングに戻ったのでした。
なんとこのとき台風7号が勢力を保ったまま北海道へ向かって着々と移動していたのです。知ってりゃ翌日の宿はキャンプではなくホテル予約したんですがねえ。
1993年8月8日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 道内2日目 室蘭>富良野 [北海道ツーリング]
1993年8月8日。
きのうまでと違って晴れ渡った空のもと、オヤジの見送りで弟のアフリカツインとのツーリングをスタート。
8月8日、4:40分。震度3の地震で目が覚めた。やたらと地震が多い。
9:30分出発。
退屈な国道36号線をひたすら東へ走ります。流れが速いこと。80km/h以上です。
途中セイコーマートでトイレマップと、キャンプ場ガイドを買いました。(トイレマップには助けられました。道内の公衆トイレだけではなく、キャンプ場や、セイコーマートの場所、道の駅の案内等、いろいろな情報満載です。キャンプ場ガイドは、すべて実地踏査済みで、トイレの汚さや、うるささ、客層、食料品の調達のしやすさ、近くの風呂案内など、もう地元出版社じゃないとわからないことがいっぱい。注。現在セイコーマートにこれらの雑誌はありませんでした。やめちゃったのかな。)
苫小牧までは、ほんとに退屈な海岸線道路です。
苫小牧でガス補給。212km/6.7リッター、862円、31.6km/リッター。絶好調。
苫小牧をすぎ、国道235号線でえりも方面へ南下。建設中の高速道路(後の日高自動車道)としばらく並行して走ります。最初はその辺の工事現場みたいですが、門別から左折し国道237号線で日高へ向かうとやがて平原をまっすぐ突っ切るようになり、ここから北海道ツーリングの醍醐味といえる、だだっ広い牧場、青い空、白い雲の世界となっていきます。
これ多分、観光牧場だった日高ケンタッキーファームだよね?(2008年閉園)ただあそこは周りは砂利道のはずなので舗装路沿いだし違うか。特定できません。誰かわかる人いませんか?
この恥ずかしいジャケット、2015年にハイゼットにKS2積んで宗谷岬行った時にも着ました。流石にパンツはウェストが入らず諦めましたが、もし着られたらこの格好で走ったでしょう。
天気は快晴。
一路富良野を目指すことにしますが、さすがナナハン、非力なニーハンではついていけません。なので先に行ってもらい要所要所で待ち合わせすることにしました。しかしいくら走っても、待ち合わせの場所までの距離が縮まらない。これには理由が。北海道の地図をお持ちの方は、本の表紙に記載されているスケールをご覧ください。通常の地方地図は10万分の1ですが、北海道だけ30万分の1。つまり、同じ1ページのはじからはじまでの距離は3倍あるんです。だまされちゃいけません。近くに見えても目的地は遙か彼方。
途中二風谷のアイヌ文化資料館の前でテントを張って売っていた、茹でたじゃがいも+バターとトマトを購入してその場で食べてしばしの幸福感を味わいます。
1993年8月7日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 道内1日目とその準備と与太話修正版 [北海道ツーリング]
*今日改めて自分のホームページ見てたら、北海道のページではなくXL250Rのページにこのツーリングの前日譚と最終日の事が書いてあって今回書いたことと結構誤差があったので、保存の意味も兼ねて当時の文章そのままコピペすることにしました。ですので最初に書いたやつは忘れてください。(した、だった、などから、しました、でしたというふうに直した部分は目をつぶってくださいな)
10月31日追記・・・当時の整備ノートが出てきて、そのノートにこの北海道スペシャルバイクの改造記録と、なんと北海道で受け取ったすべてのレシートが貼ってありました。当然ガソリン記録も。これらを追記していきたいと思いますのでまた読み返してくださいな。ただ、ドットプリンターらしきガソリンのレシートは全て無事でしたが、コンビニやお店の熱転写プリントのレシートは読めないぐらい薄くなってるか消えちゃってましたので細かい出費は記載してません。
せっかく1983年の初めての北海道ツーリングのルートを書き込んだツーリングマップルが見つかったので、調子に乗って1983年にホンダXL250Rと弟のアフリカツインで走った、初めての北海道ツーリングも記事にしてみました。ただこれのメモ帳が見つからなかったので、ブログ以前に造っていたホームページ「私の華麗なバイク変歴」とツーリングマップルの書き込みを参考に思い出したことも含めて記事にしたいと思います。
それではあらためてはじまりはじまり~。
北海道。ライダーだったら必ず行ってみたい北の大地。ただ、この数年前までのわたしは、北海道にはほとんど興味がありませんでした。ツーリングは信州にきまっとるがね。ところが、弟が前年の92年にXLR250R(MD16赤エンジン)で北海道へ行き、みせてもらったビデオの中の世界にすっかりとりこになり、翌年行く事に決定。北海道へ行くためのマシンがほしい、と痛切に願うようになりました。ロードマシンじゃしんどいぞ、と散々聞かされていたため、燃費との兼ね合いもあり(R80G/Sはハイオクでリッター20㎞)、250ccのオフロード車を探すことにします。でも、フェリー代等、約10万円かかる費用を考えると新車なんてとてもとても。というわけで雑誌の売買覧をすみずみまで目を通し、やっと見つけたのが4万円のホンダXL250R。横浜まで取りに行き、遠くからきたということで1万円値引きしてもらい結局3万円で手にいれました。(もっとも交通費をいれたら約5万円のお買い物。決して安くはなかったけど)北海道ツーリングまであと3カ月。とりあえず自分で登録を済ませ、荷物を満載し、1泊2日の南紀、和歌山、奈良ツーリングを決行。これで悪いところをさらけ出そうというわけです。
さて、初日は国道23号線から国道42号線にはいり、伊勢をぬけ、海岸沿いを尾鷲まで走りました。うーんキャブの調子が悪い。アイドリングが2000回転から下がらず低速がギクシャクします(回せば問題なし)。走っていくうちに良くなるだろうと思っていたアイドリングは、相変わらず不安定で、エアスクリューをいくら調整してもだめでした。ガソリンを入れたら燃費も相変わらずリッター20㎞。尾鷲の海岸線から山の中に向かうため、ジャスコで稲荷寿司とインスタントの味噌汁を購入。
ここで、山に入る前に、先ほど満タンにしたばかりだったので迷ったけど、20㎞走行しただけでもう一回ガソリンをいれました。1リッターしかはいらないので、ハイオクにしました。セルフスタンドはまだなかったので気を使ったのです。ここから先、山の中は、ほんとになにもないのです。南紀へ行く人は、山の中に向かう前に必ず満タンにしようね。山村ではスタンドがあっても、あいてないことが多いから。実際このときも、約150㎞もの間、スタンドがあいていなかったのです。(満タンでの航続距離はぎり200㎞)
このときは長年の経験で、スタンドがありそうな場所を嗅ぎつけることができたため、何とか帰ってこれたのです。
十津川村の谷瀬の吊り橋
道路端でキャンプ。
北海道へ持っていく荷物すべてを積載(ただしあとで積載に困った重いスペアチューブや工具類は無し。)フロントフェンダーは泥跳ね防止に別のフェンダーをちょん切ってリベットで延長してます。この時点ではリアキャリアはなく、ラフアンドロードのツーリングバッグをシートに載せ、シュラフはリアフェンダーにくくりつけてます。
このツーリングの結果、まず、チェーンがだめ。スプロケットも前後とも駄目。荷物が乗らないからキャリアがいるなあ。スポークもゆるんでる。タイヤも溝がない。でも一番の問題は、アイドリングが不安定なこと。アイドルアジャストスクリューをいっぱいにゆるめても、アイドリングが下がらないうえにアクセルに回転がついてこないことがある。(つねに、ではない)しかも燃費が悪い。丁寧に走ってもリッター20㎞前後しか走らないのです。このエンジンはXL250Sの改良型だから30㎞前後走るはず。
家に帰ってから、タイヤやチェーンなどの部品を換え、なんとか形になったXLだけど、あいかわらずエンジン不調のまま。
ある日、何度目になるかわからないキャブ分解で、キャブのサイドにあるエアカットバルブのダイアフラムに小さな穴があるのを発見。このダイアフラムをつけたまま、とりあえずエアカットバルブ(アクセルを一気に閉じてエンジンブレーキをかけたときにマフラー内でパンパンという現象を抑えるためのバルブ)の蓋に空いているエアの通路を塞ぐと、うそのようにアイドリングが安定したのでした。燃費も一気にリッター30㎞オーバーに。
さっそく、ダイヤフラムを発注・・・しようとしたのですが、この部品すでに旧車であったXL250SとXL250Rにしか使われておらず、1個5000円弱というとんでもない値段になっていました。ばからしくなって、もしかしたらと、ガソリンに強い樹脂シートをバルブの形に切り抜きエアカットバルブの負圧通路を塞いだ形で固定したのです。これを塞いでも、アクセルを戻したときにパンパンアフターファイヤが起こるだけで、エンジンには何の支障もありませんでした。(結局このあとエアカットバルブのない、CB250RSのキャブをつけました。後年のXLRやXRにはついてないので、つまりエアカットバルブは必要なしという見解)
エンジンが完璧になったかどうか、こんな林道を走ったり
弟のアフリカツインと高速に乗って、静岡の大井川にかかる木造橋である蓬莱橋を渡ったり。今は歩行者専用ですが当時はバイクで渡れたのです。手すりが低いので怖かったー。
1993年6月、完成したホンダXL250Rで初めての北海道ツーリングに行くにあたり、早速フェリーを予約するため電話の前に待機、午前10時の受付を待ちます。(当時はネットもなく携帯電話なんてもんも持ってませんので会社を休んで電話の前にクラウチングスタート体制で構えてました)
まずフェリーの選定ですが、初めてということもあり、料金が安いが愛知県から170km先の敦賀や230km先の舞鶴まで行かなきゃいけない新日本海フェリーは避け、仕事をお昼で早退しても十分その夜の出港に間に合う、40km先の名古屋発の太平洋フェリーを選びました。(これは正解でした。理由は後述)
何度リダイアルしても話し中が続く電話との戦いの末、行きのフェリーは確保できましたが、1週間後の(2ヶ月前の同日が予約開始日となるため当然帰りのフェリー予約は1週間後にしかできない)帰りのフェリーはアウト。しょうがないので帰りのフェリーは北海道ツーリングの途中の大都市の交通公社でキャンセル待ちすることにしました。
しかーし、まあこれで北海道いけるよねという話をバイク仲間である工場長と話してたら、せっかくだから全バラしてスイングアームとヘッドベアリングを換えようよ、あと大荷物に耐えられるようにリアフレームに補強入れようという話になり、みすぼらしく塗装がやれているこれをフレームまでばらして、ステアリングヘッドベアリングとスイングアームのベアリングを交換。アルミの厚板を会社のプレスブレーキで折り曲げて、リアキャリアとサイドバッグを熱から守るためのマフラーガードを造って装着(結局サイドバッグは無しで行きましたが)。その後ろに工具ボックスを載せるための原付用のキャリアも装着。フレームとスイングアームはサビを落として水性の赤いペンキで刷毛塗りし、エンジンも磨いて黒く塗り直しました。
でもまあ今考えるとこのバイクを買った値段3万円+改造費でBMWで行けたじゃんという。
土曜日に工場へ持ち込んで
フレームまでバラし錆落とししてプラサフ塗って
吊るします。
この時点ではスプレーガンを使うつもりでしたが塗料が飛び散るので刷毛塗りに変更。水性の赤を使いました。
エンジンも灯油で洗浄しハゲた部分を塗装。
日曜日、吊るしたまんまエンジン搭載。ステアリングヘッドとスイングアームのベアリングを交換してスイングアームやサスペンションも刷毛で塗り塗り。
部品組み込み。刷毛塗りでも意外ときれい。
いい出来です。
その後休みの度に作業を行い、タンクは流石にダンボール箱でブースを造ってエアガンで塗装。前フェンダーはパリダカ用に変更しました。
乗員のスペースを十分確保できるように、大荷物をシート後方にはみ出して積めるよう、5mm厚のアルミ板をプレスで曲げて整形してシートを延長する位置にサポートキャリアを作成、、ついでに振り分け式のサイドバッグを積めるようにマフラーガードも制作。さらに工具を大量に入れた工具箱を荷物の後ろに積むため、スクーター用のリアキャリアを追加装備。この荷重に耐えるようにシートレールとリアフレームの間にガセットとパイプを溶接して補強を入れました(追加箇所は後述、ただこれのせいで重心が後ろに移動し、フロント荷重が減ってしまい乗りにくくなりました。)。いやあ、弱小でも自動車部品加工屋の特権だわー。
7月31日完成。このキャリアとマフラーガード、大量生産したら売れたかも。
ただこれだけ攻めても積載量に不安を覚えたので、ライトの上にもハンターカブみたいに、自転車用のキャリアを流用して、かさばるけど軽いシュラフ用のキャリアを付けました。(キャリア単体の写真が見つからず。よく見たらゼッケン部分切ってるね)
*ここから10月31日に見つかった整備ノートからの追記分です。
おおっ。キャリアの分解図が。フレーム補強位置も。
こっちにはフロントキャリアの取り付け方法が。シュラフなどの用品の代金も。
この上に総額11万5千円弱かかったと書いてありました。(半分はシュラフや道具類や雨具などだけど)素直にBMWで行けばよかったのに。
このときに頼んだ部品群。これを見るとエンジンが降りている間にエンジンヘッドも開けてました。デコンプのオイルシール換えてますね。このときこのエンジン恒例のシリンダーヘッドのスタッドボルトを折って、雌ネジ穴をなめたとこより深くドリリング、M6で深くタップを切り直してます。フロントフォークもオーバーホールしてますね。チェーンやスプロケ、リアハブダンパー、リアブレーキシューも新品交換。特にチェーンは当時は珍しかったシールチェーンに交換してます。すげーなこれ、エンジン腰下以外ほほフルオーバーホールじゃん。
上記以外の交換部品:シールチェーン520-100ー9800円。タイヤダンロップ前後で14000円。ほか細々と舌部品に2万円弱。
それにしてもXLR250Rバハはフレームを塗ってもとに戻すのに1年かかったのに、同じようにほぼフルオーバーホールしフレーム塗装と消耗部品の交換、キャリア装着なんかを3ヶ月の休日だけで完成させたのはすごいよね。(まあ工場使えなかったら絶対無理でしたが)
さて完成した時点ですでに北海道への出発まで後1週間というところになっていました。
ただ、これで問題なく終わった訳じゃなかったのです。
なんと出発の6日まえに、仕事中鉄板で、右手の親指と人差し指の間を、4針縫わなくてはならないほど切ってしまったのです。これではアクセルをあけられない。医者に泣きつき(フェリーの予約があるからね)ふつうより多く縫ってもらい、1週間以内に道内の医者に消毒してもらうという約束をさせられ、どうにか出発の準備はできました。
だが、私の運はとことんついてなかった。
出発前日、サイドスタンドの先端部分が地面にめりこまないように、鉄板を溶接したのですが、うっかり左腕を押しつけてしまったのです。溶接直後のサイドスタンドに。いやー見るも無惨な、おおやけど。目の前が真っ暗になりましたね、あんときゃ。
結局、出発当日、包帯でぐるぐる巻きにした両腕をそおっとジャケットに通し、右手はどらえもん状態でグローブ無しのままレイングローブの中に納め(つまり、雨だったんだよお。もお、好きにして状態。)左手はジャケットの裏地にさわらないように、そおっと動かしながら名古屋港へ。痛いし、暑いし、むれるし、もう大変。
オド17105km。
夏休みの2日前に有給を取ったため、港への道は仕事の車で大渋滞。どらえもんの手じゃ、アクセルをうまく微調整できないため、すり抜けは冷や汗もんでした。
途中コンビニで晩飯を仕入れ、18時30分金城ふ頭のフェリーターミナル着。フェリーチケット片道27910円。
手続きを済ませ何とかフェリーに乗り込むと、入り口にたっているクルーが一言。
「ありゃー痛々しいですねー。事故でもやったんですか」
両腕とも包帯巻き。そう思われても当然か。雨の中走っていたため、汗で気持ち悪いのでさっそく風呂へ。困った。・・・両腕とも濡らせない。万歳したまま入っている私をみんなどう思っただろう。
しかし、フェリーはとってもありがたいですねえ。乗船中の2日間で、十分アクセルを回せるぐらいには回復したのでした。
太平洋フェリーを選んだのは正解でした。もし雨の中200km弱走らないと乗れない新日本海フェリーを選んでたら、ツーリング自体キャンセルせざるを得なかかったでしょう。
20時に定刻通り出港。
さあ初めての北海道ツーリング。このドラえもんのような手でなんとか無事終えることができるでしょうか。(到着は8月7日、2日間のフェリー内の記憶も写真も全くないので端折ります)
1994年8月4日~8月15日 BMWR80G/Sで行く北海道ツーリング 清書版その6 1985年と1991年の北海道地図 [北海道ツーリング]
今回1994年の北海道ツーリングの記事を書いてるのですが、実はそれより昔に北海道へ行こうとこんな本を買っておりました。
1985年発刊、1986年改訂の北海道ツーリングガイドです。
そこには1985年当時の北海道全図がついており、現在の北海道とは違う道路、鉄道などが・・・。
下の地図の太平洋側海岸線の真ん中あたり、国道336号線が途切れているのわかります?
拡大図。
1991年版の左の地図もみてみましょう。
1991年時点でも国道38号線の豊頃町から海岸線に行く国道336号線は十勝川を渡る橋がなく、目の前の昆布刈石方面へ行くにはかなり上流の国道38号線で十勝川を越えるしかありませんでした。(右下の注意書きみて笑ってしまいました)
ただ、BMWで行った今回、この途切れた部分には仮橋がかかっており渡ることができたのはラッキーでした。しかも渡った先で国道38号線へ北上したときに鹿とレースするという経験付きで。
2019年のgooglemapの同じ場所。3本も橋がかかってます。
今では天馬街道として知られている道南の浦河町と広尾町を結ぶ横断道路も分断されてます。
2019年現在の同じ場所。
ツーリングライダーが必ず通る三国峠。この地図には記載がありませんが1993年度版のツーリングマップルでさえ「大半がまだダートだが観光バスもハイペースで走る」との記述があります。1985年ならほぼ全線ダートでしょう。このときには峠の北側に大雪ダムがないので大雪湖もありませんね。(調べてみたらダムの完成は1975年なので表記してないだけ?これより南の糠平湖はちゃんとあります。)。初めて北海道行った1993年に通ったときは峠の両側数キロはまだダートでした。1994年に全線舗装されて冬期通行止めから開放されたそうです。
2019年の同じ場所。地図上に大雪湖ができてます
1994年8月4日~8月15日 BMWR80G/Sで行く北海道ツーリング 清書版その5 地図発見 [北海道ツーリング]
メモ帳を見つけたことから始まった、1994年の北海道ツーリング記事。写真を探した際に行方不明だった当時の地図も見つけました。
この地図、1993年にXL250Rで初めて北海道行ったときに購入した、ツーリングマップル初代です。
おおっ、BMWのもある。
赤いのがXL250R、黄色いのがR80G/Sらしい。ちゃんとメモがしてあるし。これで不明なルートもばっちりだ!
と思ってめくってくとすごい違和感が。
あれ、このメモって、あのメモ帳と同じだよ?
いやあ、歳はとりたくないものです。これ、だいぶ前にメモ帳と一緒に地図を見つけたときに書き込んだやつやん。(その後どっちもどこにやったかわからなくなってました)つまりメモ帳であやふやなところはこっちもあやふや。これ記入したことすっかり忘れてた。
もう意気消沈です。
で、本棚をじっと見ていると1991年に弟が初めて北海道行ったときに買った地図が。まあ当時の道路状況の参考になるかもと引っ張り出したんですが。
あれ?俺の字??この矢印は???
おおっ!ビンゴ!!まさしくこのツーリングの記録じゃねえか。しかもメモ帳にない部分がちゃんと記録してある。なのでメモ帳があんなに簡素だったのかあ。
ということで早速何箇所かルート不明だった部分を見てみましょう。
1994年8月13日~8月15日 BMWR80G/Sで行く北海道ツーリング 清書版その4 最終 [北海道ツーリング]
*BMWR80G/Sパリダカールで行った、人生2度めの北海道ツーリングのメモ帳が出てきたので思い出しながら記事にしてみました。当時はデジカメなぞなかったので写真少なめです。キャノンの防水35mmコンパクトカメラD5での撮影です。
*後日フィルムが出てきました。そしたらプリントが歯抜けになってることが発覚。どうやら親父に送って焼き増ししてない模様。使ってなかったフィルムスキャナーを起動して(このスキャナーについては別記事で)ネガからスキャンしたんですがプリントより先にフィルムが退色してて調整に苦労しました。少し退色した枠のない写真はスキャンしたものです。
8月13日早朝、室蘭をでて中山峠経由で小樽を目指します。朝早いのはフェリーの出港が午前10時だからです。
国道37号線で伊達方面へ抜け虻田町から国道230号線で洞爺湖方面へ。
洞爺湖だったのかこの写真。支笏湖だと思ってたけど支笏湖通らないわな。
羊蹄山の見えるアイスクリーム屋さん。(写真を頼りに店の外観から推測するに、このレークヒルファームらしいです)
定山渓温泉で道道3号線(現道道1号線)に入り国道5号線の朝里へ出ます。
朝里の本屋でフェリーで読む文庫本など購入。1100円。サンダルを親父んちに忘れたので購入、1480円。
フェリーターミナルで手続きを済ませ、小樽発10時の新造船ライラックで北海道を離れます。28421km。本日の走行164km。フェリー代金小樽>舞鶴17090円(往復割引-900円)
さらば小樽よ。
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