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2002年8月15日 ヤマハGTS1000で行く北海道ツーリング 根室市営キャンプ場>北見市ビジネスホテル 道内3日目・・・・あれ? [北海道ツーリング]

2002年8月15日 曇り 23度。6時30分起床。

腰が、腰が痛いー。起き上がれません。昨日の立ちごけのとき踏ん張った影響が今頃出てきました。しばらく体操をしてなんとか復活しました。和商市場で買ったむしまんじゅうで朝食。

8時出発。オド28815Km。このキャンプが根室市営キャンプ場での最後のキャンプとなりました。(2005年閉鎖)


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と、ここまで書いていて次にアップする予定の写真をチェックすると・・・・・。

あれ、メモと写真の数が合いません。最初はただ写真を撮ってないだけだと思いましたが、15日の最後の写真がオホーツク海側の知床半島の付け根の標津町、そして16日の最初の写真が日本海側の当別町。しかも途中の三国峠で写真を撮ってもらったとメモには書いてあるのにその写真がない。


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右の矢印が15日の標津町。左の矢印が16日の当別町です。いやおかしいでしょ。だってほぼ北海道横断だよ。絶対写真撮ってるわ。(黄色く塗ってあるのはこの旅が終了した時点で、今まで獲得したカントリーサインのある市町村。白い部分も後のハイゼットの旅で道南の白い部分以外ほぼ獲得しました。なおこの地図は合併後の179市町村のものです。全部塗りつぶせば合併前の212市町村全部行ったことにもなりますが、当然消滅したカントリーサインの獲得はもうできません。この2002年の旅でも、現在もう見ることのできない消滅前のントリーサインがいくつかありました。(写真に注釈つけてます。前に記事も含めてここまでにいくつか出てきましたね。)


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で、一度APSフィルムのホルダーを点検してみました。華々しく登場したAPSシステムの時代はデジカメの発展にあっという間に追い越されたため、これが今までAPSフィルムで撮った全部です。2002年の今回のツーリング写真が最新、つまりAPS最後のフィルムだったということが今回のチェックでわかり戦慄しました。最初のフィルムの日付が1999年なのでたった3年の寿命?


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と思ってたらこれが出てきました。社員旅行で行ったタイ旅行。これが正真正銘APS時代の最後の1本です。つまり私のAPSカメラとの付き合いはたったの5年。その前の、ヤシカのエレクトロ35から始まった35mmフィルム時代はキャノンA1、ニコンFM、ニコンF3と一眼レフで20年間彩られながら、コンパクトカメラ、富士フィルムのティアラであっさり終了し、コンパクトデジカメ、携帯カメラ、スマホカメラと新世代のカメラにに取って代わられていきました。


さて、APSフィルムは35mmフィルムのようにスリーブに入ったネガが戻ってくるのではなく、カートリッジまるごと戻ってくるため中を見ることができません。なのでカートリッジに6桁の番号が振ってあります。これの場合は416-615。


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で、現像の済んだフィルムカートリッジにはこれがついてきます。インデックスプリントといいます。本来このAPSシステムのため開発されたものですが、後に35mmフィルムにも採用されました。ただ35mmフィルムにないのが先程の6桁番号。


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この番号です。このフィルムは25枚撮りなので、カートリッジと同じIDのインデックスプリントには25コマの縮小写真が1枚にぎっしりプリントされているのです。IDの下にはそのフィルムの最初の写真と最後の写真を撮った日付が記載されます。(これはカメラからの情報をフィルム面に磁気記録してるのです)これが今回カートリッジの整理に役立ちました。


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2002年8月14日 ヤマハGTS1000で行く北海道ツーリング 天馬街道野塚峠>根室市営キャンプ場 道内2日目 [北海道ツーリング]



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2002年8月14日。5時起床。船の冷房にあたって風邪を引いたので薬を飲みました。相変わらず雨模様だけど雲は上がってきました。


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チーカマで朝食。6時に出発。いいお宿でした。オド28441Km。19度。ぎりぎりメッシュで走ることができます。まあ、雨合羽着ましたけど。


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日高振興局に別れを告げ、野塚トンネルを抜け十勝振興局の広尾町へ。豊似から国道236号線、大樹(たいき)町に入るところで「あ、カントリーサイン集めなくちゃ」と思いだし、重たいGTSを止めちゃ撮影という無謀な行為に走ることに。これ以外と平均速度に影響するんですよー。しかもこれが後々体に響いてきました。


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国道236号線の「ちゅうるい」。何度か通っているけど初めて写せました。ここはナウマンゾウの化石が出た村だそうです。でかい立ち寄り温泉もあります。(2006年幕別町に編入合併し消滅。)


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県道210号線で「とよころ」。


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十勝川を越えると「うらほろ」。国道38号線に乗って7時50分、浦幌のセイコーマートでお買い物。パンと牛乳となぜかヤングキング。520円。


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だんだん北海道らしい景色に。


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今回はロードマシンなのでウズウズしながら見送ります。


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途中、特急をお見送り。根室本線なのでスーパーおおぞら?


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浦幌で十勝振興局とはお別れし、釧路振興局の「おんべつ」へ。(釧路市に編入合併して消滅、ただ音別町と釧路市との間にある白糠町が合併に同意しなかったため飛び地合併という変則的な合併となってしまい、現在では国道38号線のカットリーサインは浦幌町>釧路市>白糠町>また釧路市というややこしいことになってます)ここらへんで晴れたので合羽を脱ぎます。


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この直別橋が音別町との町境です。振り返ってます。向こうから来ました。右奥に上の音別町のカントリーサインの裏側が見えてます。


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奥に見えるのは国道38号線(右)と道道1038号線(左:昆布刈石海岸道路)との分岐。

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2002年8月11日-8月13日 ヤマハGTS1000で行く北海道ツーリング 自宅>苫小牧>天馬街道野塚峠 船上2日間+道内1日目 [北海道ツーリング]

*写真が少ないですが、まだデジカメが普及しはじめた頃で、しかも唯一持っていたファインピックスを壊したため、結構高く付くAPSフィルムカメラを持って行くことにしました。撮影したフィルムは24枚撮り5本分だけです。


2002年6月11日。8月11日のフェリーの予約合戦に参戦。8月11日7時の太平洋フェリー、名古屋発午後8時の便に乗れることに。しかし1週間後帰りのフェリーの予約に挑戦するも撃沈。とりあえず8月18日お昼の函館>青森の青函フェリーを予約しておきました。初めての青森>愛知の陸送です。(愛知>青森は経験済み)


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バイクは5月に手に入ったばかりのヤマハGTS1000です。この日のためにつけたボックスのおかげで今までで一番スッキリした積載となりました。写真は空荷。これに雨具などをリアシートに追加。


ところが出発前に大事件が。18時乗り込みなので16時に出りゃいいやとゆっくりしてたら、母が「早く行って向こうでゆっくりしろ」というのでのそのそと準備をして、貴重品の入ったウェストバッグの確認をしたら、無い。財布に入れたはずの郵便局のキャッシュカードが。今回の資金は全てこれに入ってるので、キャッシュカードが無いとどうにもなりません。(今考えると通帳と印鑑持ってけばいいんですがそのときは動転してて頭が真っ白に)ウェストバッグにもジャケットのポケットにもない。あとはバイクに付いているボックスの中のみ。せっかく綺麗にまとめたすべてのパッキングをバラし隅から隅まで探してみると、出発前に洗面用具やタオルなどを積めたバッグのポケットティッシュの袋と袋の間に挟まってました。馬鹿な俺、ありがとう母!


15時30分出発。オド28220Km。名古屋港のフェリー乗り場手前のサークルK(現ファミマ)で晩飯を購入。1503円。

17時30分、名古屋港金城ふ頭のフェリーターミナル着。オド28279Km。本日の走行59Km。ナンバーをメモし乗船申込書に書き込んで窓口でチケットを購入します。29000円ーJAF割引=26000円を支払い乗船準備完了。

18時乗船。隔日運行の本日の船は「きたかみ」です。船内売店でAPSフィルムを2本購入。600円X2。ポカリスエット120円。

外の気温は日暮れなのに38度・・・。勘弁してくれ。3年前の灼熱の北海道ツーリングの二の舞になりませんように。

夕食はバイキング1800円(現在2000円)全メニュー制覇を目指すも撃沈。(ちらし寿司、ステーキ100g、冷しゃぶ、そば、エビ団子、サバメンチ、中華サラダ、麻婆豆腐、サラダ、ケーキ5種類、エスプレッソ、スイカ、パイン、オレンジジュース、味噌汁・・・食いすぎだろ、ていうか前までの反省か記録しすぎ)

20時出港。


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資金に余裕があったのでテレビ付きのA寝台(現S寝台)を選択。ほぼカプセルホテルでした。当時はまだブラウン管です。アイスクリームと紅茶270円。

海が荒れててすごく揺れます。0時30分就寝。


(船上の写真がありませんのであしからず)

2002年8月12日。くもり。室温24度。寒いです。効きすぎだろエアコン。外へ出たら霧。朝食は昨日買っておいたパンとコーヒー。売店でコーヒー120円と北海道地図500円を購入。

昼頃やっと霧が晴れたけど、室内が寒くて長そで長ズボンに着替え。

12時30分 ランチバイキングへ。900円(現在1000円)。つくね団子、ピラフ、カレー、シュウマイ、スパゲティ、春巻き、ハム、スープ、サラダ、冷やし中華、ジュース、パン2個、グレープフルーツ、エスプレッソ。いや食いすぎだろこれ。

17時。仙台港着。小雨で外で25度。名古屋と13度も違う。ジュース2本で300円。19時30分夕食・・・昼食いすぎたのでカップヌードルのみ。コーラ+ポテトチップで340円。

20時仙台港発。メロンジュース120円。

22時30分就寝。が、ビデオちゃんねるでやっていた初代ウォーターボーイズの映画が面白くて夜ふかし。(家に帰ってすぐDVD買いました)続けてやっていたスペースカウボーイも面白くてさらに夜ふかし。

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2002年8月11日-8月20日 ヤマハGTS1000で行く北海道ツーリング 準備編 [北海道ツーリング]

かつてYAMAHAさんが作った1993年式のGTS1000という、前輪も後輪もスイングアームという変わったバイクが存在していました。日本で最初に排気ガス対策のためのキャタライザーを装備し、燃料供給に電子制御のインジェクションを採用、モデルチェンジを繰り返していずれすべてのバイクがこの形になるだろうと思われていた瞬間もありましたが、結局一度もモデルチェンジすることもなくひっそり消えていきました。何しろBMWR100RSの新車が145万で買えたときに強気の180万円という値札がついていたのです。そりゃ売れませんわな。


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93年10月号のMC誌の広告。すでにバーゲンセール価格。でもこの値段。


そんな不人気バイクが我が家にいた時期もありました。弟が60万円ぐらいで買ったやつが、BMWR1150RTを買う際に場所確保のため、2002年の5月、うちに来たのです。


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SP忠男のコンバットフルエキゾースト。なので標準装備のキャタライザーはついてません。当時は排気ガス規制そのものがなかったためこれで車検に通りました。規制が厳しくなった今だとどうでしょ。-A無しモデルなのでABSは無しです。


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写真が小さいのは(242x181と320x240ピクセル)原版がないから。この写真は、当時アップロードできる容量がむちゃくちゃ少なかったホームページ「私の華麗なバイク変歴」のために縮小したもので、原版は640X480ピクセルです。そうなんです。実は撮影はフィルムカメラではなく、フジのファインピックス1700Zという、150万画素、最高画質1280x1024ピクセルの初めて買ったデジカメなのです。当時の保存メモリーが最大で32MB(ギガバイトじゃないよ、メガバイトはギガバイトの1/1000サイズ)だったので撮影可能枚数を増やすため最高でも640x480で撮影してました。(まあ当時はディスプレイがブラウン管のVGAディスプレーだったので、640x480でも画面いっぱいに表示されていましたから、これで十分だったのです。)32MBメモリーだと最高画質では48枚、640x480で180枚写せました。で、コイツの元があるはずとR100RSの写真同様、家中捜索しましたが2002年のデジカメデータは発見できませんでした。ちょうどフィルムとの端境期で、多分スクラップ箱にあった、壊れた数個のHDDの中にあったのでしょう。もしかして記録したメディアがないかとも思いましたが、コイツの記録メディアはスマートメディア。ただでさえ壊れやすかったペラペラのメディアです。あったとしても今では読む方法もないし。


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前輪右側面には何もありません。前輪直後がスイングアーム。というよりダブルウィッシュボーンのロアアームです。


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反対側。フロントサスペンションユニットがあります。リンク式ではなく2本サスのリアと同じ構造。というよりモノサスのR100RSのリアとほぼ同構造ですな。いや、アッパーアームのある平行四辺形だから、最も近いのはスーパーセブンのフロントサスペンションです。(自転車に詳しい人ならアレックス・モールトンの平行四辺形のフロントサスとほぼ同じ仕組みといえば通じるかな。)


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これがフレーム。2枚のプレートでエンジンを挟んで固定されていて、フロントアームとリアアーム、ステアリングヘッドはすべてこの2枚のプレートで支えられています。


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この角度からはフロントフォークがないことはわかりません。つまり凡庸。よくZZR1100と間違えられました。


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通常のバイクだとフロントフォークチューブがある部分。このへんはハンドルへの入力を前輪に伝える役目しかありません。なのでいわゆるロア側の三叉はモンキーのやつぐらいの大きさです。上の白い部分がトップブリッジ。ロアの小ささがわかるでしょうか。ハンドルを切るとフロントフォークに当たる部分がこの小さなロアブリッジを回し、その下にあるラバージョイント(ナットが付いてる円盤)を回して

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この蛇腹に伝わり前輪を左右に回転させます。真ん中にある蛇腹はサスペンションではなく、上下動する前輪と一緒に伸縮し、ハンドルと一緒に回転する、四輪のステアリングシャフトに相当するものです。奥がラジエター。通常の水冷バイクではフレームが邪魔して絶対に置けないエンジン上部という位置にあります。


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フロントブレーキは6ポッドキャリパーで、ベンチレーテッドディスクとともにホイールの中心軸にあります。ここらへんはユーノスロードスターが使ってるダブルウィッシュボーンのサスペンションを横向きに付けたような構造ですね。スイングアームに沿ってブレーキホースが配置されてるため、普通のバイクの倍の長さが必要なので、ガツンと効くタイプではなく「真綿で首を絞める」ようにじわっと、それでいて強烈に効きます。(ただし、ABS付きは更にホースが長くなるため効きが悪いと聞きました)


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フロント周りのストリップ。バイクの整備には見えますまい。(一番上の写真に黒塗りのアッパーアームが写ってます)

この構造を見れば、フルブレーキングでのフロントの沈み込みがほぼ無い理由と、ブレーキング中の左右へのステアリングとサスペンションがお互い影響を受けないことがわかり易いと思います。(フロントフォークがあるバイクだとフルブレーキング時にはサスが沈みきってしまうことと、キャリパーがディスクを掴むことでフォークチューブとアウターをこじる力が発生するため、サスが自由に動けず、ギャップがあればなすがままって感じですが、GTSの場合はフルブレーキング時に前に向かってかかる慣性力はスイングアームピボットがまっすぐ受け止めるため、サスペンションは自由に動けるので余裕でギャップに突っ込めます)なのでフルブレーキング中でもバイクを寝かして曲がることができるんです。すごいですよこれ。



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リアも片持ちだったら面白かったんですが、この辺はエンジンドナーとなったFZR1000とほぼ同じ構成。


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タンクカバーの上には小物入れと給油口があります。この給油口、中にスプリングで閉じるバルブがあり、ノズルを奥まで突っ込むことでガソリンが吹き返さないようになってるんですが、今みたいにセルフがなかった時代にはいちいち説明しないとツッコミが足らず、閉じているこの蓋にガソリンが跳ね返って逆に吹き返す羽目に。あと、蓋が邪魔して油面が見えないのでガソリン残量はメーターだより。リザーブもなく、このメーターが当てにならないので200㎞ごとに入れてました。


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メーターはほぼ四輪。


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タンク周りのストリップ。


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膝より上には構造材がない、フレーム(灰色の部分)構成がよく分かると思います。(この大きい写真は後年一眼レフで撮ったもの)タンクは20リッター。丸いのが燃料ポンプ。


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カタログより。普通のバイクでいうフレームやサスペンションなどの構造部分は白い部分だけ。左上の黒いパイプフレームはただハンドルとヘッドライト、メーターなどを位置決めしているだけです。


画期的なフロントアームは高速ではそれこそ微動だにしないほどの安定感を生み出しましたが、低速ではやたら切れ込み(これはこの時点でさえ廃番となって手に入らなかった、FZR1000と共用の130/60-ZR17という純正タイヤの代わりにつけてる120/70-ZR17のせいかも)、ちょい乗りに使うには重すぎる250kgオーバーという乾燥重量がネックとなり、あまり乗られることなく車庫に鎮座してたのですが、高速での移動が楽なGTSなら北海道一周も楽なんじゃないだろうかと思いたち、手に入れた3ヶ月後に3年ぶりに北海道ツーリングに行くことにしました。


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1999年8月11日-12日 ホンダXLR250Rバハで行く北海道ツーリング 狩勝>室蘭>小樽 道内5日目+道内最終日+フェリー [北海道ツーリング]



1999年8月11日。今日は道内最終日マイナス1日です。明日小樽発午前10時の便で帰ります。


サホロリゾートをあとにして、国道38号線へでて西へ。峠に向かって登っていきます。


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北海道の大動脈、十勝山脈を越える国道38号線の狩勝峠。標高644m。20㎞ほど南の国道274号線の日勝峠が1020mですのでこの道が主要国道になったわけがよくわかります。


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この日付はあってます。(昼に12日になっちゃいますので11日表記のものは午前中の撮影ということになります)。カントリーサイン、露出オーバーでよく見えませんが「みなみふらの」です。いや、バイクはきれいに写ってるので看板のほうが色あせてるだけか。


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南富良野らしい景色が続きますよー。


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何回か泊まったかなやま湖キャンプ場への分岐にある「幌舞駅」に寄り道。浅田次郎の小説「鉄道員(ポッポ屋)」の映画版の舞台となった駅です。広末涼子可愛かったですよねえ。


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実は駅舎はセットではなく根室本線の現役の駅。「幌舞駅」というのは架空の駅名で、本当は根室本線「幾寅(いくとら)駅」です。(ホームから駅舎を見下ろしてます)


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ですのでこのホームには実際に気動車が走ってきますが、ダイヤが薄いので来る確率はゼロに近いです。


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駅舎以外は全てセットです。つまりほんとは駅前には何もないわけで。

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1999年8月10日 ホンダXLR250Rバハで行く北海道ツーリング 静内>天馬街道>帯広>狩勝 道内4日目 [北海道ツーリング]



1999年8月10日。昨晩も熱帯夜にタッチダウン寸前でした。1999年の札幌の天気


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荷物はこれだけ。基本的に自炊用具は無しで、テント、シュラフ、衣類、雨具のみです。

今日は1997年に開通したばかりの野塚トンネルを含む国道236号線、通称天馬街道を越えて帯広方面へ向かいます。この天馬街道がない時代は(といっても2年前までですが)、道東へ行くためには国道274号線の日勝峠かその北の国道38号線の狩勝峠で十勝山脈を越えるしかなく(まだ道東道はつながってない)、どうしてもルートが固定されて飽きてしまう事案が発生してしまいました。あ、俺のことか。ですのでこの道路の開通は待ちに待ったと言っても過言ではありますまい。



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「みついし」(静内町と合併して新ひだか町に改名)。


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ここでやっとスタンプ帳に追記がありました。えりもコースの国道235号線にこのときまだ2個しか無い道の駅の残り一つである「みついし」。ここを8月10日に訪れているので今日は8月10日で間違いありません。

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この辺はサラブレッドだらけです。もやってますねー。

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いやあ、エロいねこの子達。


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うらかわ。まだ霧の中。


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天馬街道へ入ると晴れ始めました。バッグのカバーがモヤの中走った証拠。


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その後何度も写真に収められることとなる、天馬街道の野塚トンネル内にあるはずの「ひろお」のカントリーサイン。この手前2.2Kmというのがトンネルの中間点です。その手前は浦河町になります。快晴になりましたね。

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1999年8月8日ー9日 ホンダXLR250Rバハで行く北海道ツーリング 室蘭>静内キャンプ場 道内2-3日目 [北海道ツーリング]



1999年8月8日、今日も熱風が吹いてます。とりあえず涼しいであろう道東へ向かいましょう。


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いつものオロフレ峠。この日は8月8日のはずですのでやっぱり日付がおかしいですねー。


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ありゃ~またピンぼけだー。往復して登別へ戻り国道36号へ。


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「しらおい」から新しくできた道道731号線(現86号線)で支笏湖方面へ。


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大滝村(伊達市と合併して消失)から国道236号線。


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樽前国道で「とまこまい」へ。

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1999年8月5日-8月7日 ホンダXLR250Rバハで行く北海道ツーリング 敦賀>舞鶴>室蘭 道内1日目 [北海道ツーリング]



*この1999年の北海道。写真はあっさり見つかりましたがメモがありません。ですのでコースは推測で書いてるうちに思い出せれば吉、ぐらいで中身のない記事になるかもしれませんがその辺ご勘弁を。*


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1999年8月6日 北海道へ行くに当たり、弟からXLR250Rバハを借りて荷物を積み込みました。リアにはRVボックスをネジ止めしてあります。(このバハ、お察しのとおり、先日レストアした個体そのものです)1988年式なのでこの時点でも登録からすでに11年経ってますね。ただでさえケツに優しくないバハのシートに、振り分けサイドバッグのベルトがー。これは大失敗でした。ツーリング中ずっとシートのベルトの無い所を探りながら座ることに。

バハを借りたのはクソ重たいR100GSはもう使いたくなかったからです。原点へ帰ってみました。今年こそロングダート走るぞー。


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高速を使い、新日本海フェリー敦賀フェリーターミナルへ。今と違い、敦賀からは苫小牧東港行き、舞鶴からは小樽港行きという航路は決まっておらず、このときはどちらも小樽行きです。

敦賀からこの年の7月に新規開設した苫小牧東港へ行く便は、新潟、秋田を経由する便しかなく、そっちだと32時間かかりますので現実的ではありませんでした。(まあ、今ならそっち選びますけどね。いいですねえ32時間の船旅。)


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いきなりですが同日の昼間?。日本海のどこかです。ゆうかりかすいせんどっちだろ。って写真の日付はまだ6日。あれ?出港って昼間だったっけ?いや確か当時は23時30分だろ?出発が6日で翌日の船上も6日?(この写真の日付が今回のルートや時間の推測を困難にすることに。後述)


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朝食はR100GSでの1996年と違い、バイキングではなくグリル方式。つまり定食屋システムです。多分これで1500円ぐらいかな。


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小樽港着。同時に敦賀便と舞鶴便と2船着岸するのかー。暗いから午前4時着の便だよな。だとすると到着は8日朝のはず。なぜ7日?(2019年現在、舞鶴発が23時50分で小樽着が翌日20時45分なので約21時間ですが、当時の船は29時間かかってました。この朝4時着っていうのが良かったのに。20時だと1泊必要になるから。でも当時の新日本海フェリーはトラック便や鉄道便との競争で高速化する必要があったのです。実はフェリーは乗客や車を運ぶのは副業で貨物輸送こそが本業なんですよー)。

出発が23時30分。到着時刻は翌々日の午前4時なのでこの写真の日付は8月8日じゃないとおかしいのです。なぜなんだー。(この矛盾は後でもう一回出てきます。必死に考えて原因を推測しました。後述。)


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1999年8月8日。(写真の日付はおかしい?)午前4時30分スタート。まあ今回もオヤジの家に1泊するんですが。初めての新日本海フェリーでの小樽着。いつもとは違うコースで。国道5号線を西へ向かいます。ここ余市のニッカですが朝早すぎて開いてません。どっちにしろ試飲もできませんけど。

前年開設の道の駅「スペース・アップルよいち」でトイレ。残念ながらこの道の駅、2008年に閉鎖したそうです。・・・コメントで頂きましたが、閉鎖したのは核になっていた、余市生まれの毛利さんが宇宙に行ったことを記念して作られた「余市宇宙記念館」でした。こちらも2010年に町営として復活したそうです。

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1996年8月18日-20日 BMWR100GSで行く4度めの北海道ツーリング 室蘭>小樽港>舞鶴港>自宅 [北海道ツーリング]


1996年8月18日。本日はオヤジ夫婦と白老町にある「ポロトコタンアイヌ民族博物館」へ。お土産などを買いに室蘭の町へ。建設中の白鳥大橋やチキウ岬へドライブ。途中明日のフェリーに備えて文庫本を4冊購入2320円。テレフォンカード1000円も買ってます。(まだ携帯普及してません)


フェリーは明日朝10時小樽発なので、時間の余裕を考えて夜通し走って行くことにしました。北海道初の夜間走行です。



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8月19日午前0時。わざわざ作ってくれたおにぎりを受け取って出発。(ちょうど花瓶の花とかぶってしまった。)

国道37号線で虻田まで、国道230号線で深夜のルスツリゾートの高層ホテル脇を抜けていきます。田舎に突然現れる巨大なとうもろこし。不気味ですなあ。

深夜走ってると闇に突然光るものがあります。鹿の目でした。深夜でも突然道路に飛び出してくるのでびっくりです。


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午前3時半。早くつきすぎました。深夜の小樽運河です。本日の走行距離 180Km。道内総走行距離は1520Km。


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午前4時、舞鶴からの便が到着。これに乗ります。


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多分三角市場とかでお土産を買ったはず。


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午前10時、時間通り出港です。さらば北海道。多分しばらく来ないからねえ。


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新潟沖ぐらい?


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8月20日午後3時。舞鶴港着です。


国道27号線>国道8号線>国道21号線>可児市から国道248号線>多治見からいつものコースで午後9時帰宅。

途中、可児市から多治見に向かう途中、すごいスピードですれ違った車をバックミラーで見てたら、その車が対向車と正面衝突し宙に舞いました。あーびっくりした。

道外移動距離は往き980Km+帰り200Km=1180Km。

総走行距離は2700Kmでした。


この最終日のデータのなさ。思えばメモ帳に一日一行しか記録がない時点でもう飽きていたんでしょうねー。なので次の北海道ツーリングは3年後の1999年です。


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1996年8月16日-17日 BMWR100GSで行く4度めの北海道ツーリング 多和平牧場キャンプ場>日高沙流川キャンプ場>室蘭 [北海道ツーリング]



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1996年8月16日。台風一過の清々しい朝。無事一晩過ごせました。驚いたのはこんなふきっさらしの、防ぐものがなにもない牧場のキャンプ場に、台風の中薄っぺらいテント一丁で一晩過ごそうなんてお仲間が一杯いたこと。馬鹿だなあバイク乗りって。


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一昨日越えた日勝峠を反対から越えて、日が暮れる直前に日高沙流川キャンプ場着。

実はこの日の写真はこれ2枚だけ。なのでこの日何をしていたのか全く不明です。記憶もありません。記録はメモ帳にある今夜の宿「日高沙流川キャンプ場」のみ。唯一つ、トイレが汚かったのだけ覚えてます。

なので16日の記録は書くことがないためこれで打ち止めです。


本日の走行距離 地図からの推定 280Km。

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