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1993年8月7日 ホンダXL250Rで行く初めての北海道ツーリング 道内1日目とその準備と与太話修正版 [北海道ツーリング]

*今日改めて自分のホームページ見てたら、北海道のページではなくXL250Rのページにこのツーリングの前日譚と最終日の事が書いてあって今回書いたことと結構誤差があったので、保存の意味も兼ねて当時の文章そのままコピペすることにしました。ですので最初に書いたやつは忘れてください。(した、だった、などから、しました、でしたというふうに直した部分は目をつぶってくださいな)


10月31日追記・・・当時の整備ノートが出てきて、そのノートにこの北海道スペシャルバイクの改造記録と、なんと北海道で受け取ったすべてのレシートが貼ってありました。当然ガソリン記録も。これらを追記していきたいと思いますのでまた読み返してくださいな。ただ、ドットプリンターらしきガソリンのレシートは全て無事でしたが、コンビニやお店の熱転写プリントのレシートは読めないぐらい薄くなってるか消えちゃってましたので細かい出費は記載してません。


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せっかく1983年の初めての北海道ツーリングのルートを書き込んだツーリングマップルが見つかったので、調子に乗って1983年にホンダXL250Rと弟のアフリカツインで走った、初めての北海道ツーリングも記事にしてみました。ただこれのメモ帳が見つからなかったので、ブログ以前に造っていたホームページ「私の華麗なバイク変歴」とツーリングマップルの書き込みを参考に思い出したことも含めて記事にしたいと思います。


それではあらためてはじまりはじまり~。


北海道。ライダーだったら必ず行ってみたい北の大地。ただ、この数年前までのわたしは、北海道にはほとんど興味がありませんでした。ツーリングは信州にきまっとるがね。ところが、弟が前年の92年にXLR250R(MD16赤エンジン)で北海道へ行き、みせてもらったビデオの中の世界にすっかりとりこになり、翌年行く事に決定。北海道へ行くためのマシンがほしい、と痛切に願うようになりました。ロードマシンじゃしんどいぞ、と散々聞かされていたため、燃費との兼ね合いもあり(R80G/Sはハイオクでリッター20㎞)、250ccのオフロード車を探すことにします。でも、フェリー代等、約10万円かかる費用を考えると新車なんてとてもとても。というわけで雑誌の売買覧をすみずみまで目を通し、やっと見つけたのが4万円のホンダXL250R。横浜まで取りに行き、遠くからきたということで1万円値引きしてもらい結局3万円で手にいれました。(もっとも交通費をいれたら約5万円のお買い物。決して安くはなかったけど)北海道ツーリングまであと3カ月。とりあえず自分で登録を済ませ、荷物を満載し、1泊2日の南紀、和歌山、奈良ツーリングを決行。これで悪いところをさらけ出そうというわけです。


さて、初日は国道23号線から国道42号線にはいり、伊勢をぬけ、海岸沿いを尾鷲まで走りました。うーんキャブの調子が悪い。アイドリングが2000回転から下がらず低速がギクシャクします(回せば問題なし)。走っていくうちに良くなるだろうと思っていたアイドリングは、相変わらず不安定で、エアスクリューをいくら調整してもだめでした。ガソリンを入れたら燃費も相変わらずリッター20㎞。尾鷲の海岸線から山の中に向かうため、ジャスコで稲荷寿司とインスタントの味噌汁を購入。

ここで、山に入る前に、先ほど満タンにしたばかりだったので迷ったけど、20㎞走行しただけでもう一回ガソリンをいれました。1リッターしかはいらないので、ハイオクにしました。セルフスタンドはまだなかったので気を使ったのです。ここから先、山の中は、ほんとになにもないのです。南紀へ行く人は、山の中に向かう前に必ず満タンにしようね。山村ではスタンドがあっても、あいてないことが多いから。実際このときも、約150㎞もの間、スタンドがあいていなかったのです。(満タンでの航続距離はぎり200㎞)

このときは長年の経験で、スタンドがありそうな場所を嗅ぎつけることができたため、何とか帰ってこれたのです。


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十津川村の谷瀬の吊り橋


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道路端でキャンプ。


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北海道へ持っていく荷物すべてを積載(ただしあとで積載に困った重いスペアチューブや工具類は無し。)フロントフェンダーは泥跳ね防止に別のフェンダーをちょん切ってリベットで延長してます。この時点ではリアキャリアはなく、ラフアンドロードのツーリングバッグをシートに載せ、シュラフはリアフェンダーにくくりつけてます。


このツーリングの結果、まず、チェーンがだめ。スプロケットも前後とも駄目。荷物が乗らないからキャリアがいるなあ。スポークもゆるんでる。タイヤも溝がない。でも一番の問題は、アイドリングが不安定なこと。アイドルアジャストスクリューをいっぱいにゆるめても、アイドリングが下がらないうえにアクセルに回転がついてこないことがある。(つねに、ではない)しかも燃費が悪い。丁寧に走ってもリッター20㎞前後しか走らないのです。このエンジンはXL250Sの改良型だから30㎞前後走るはず。

家に帰ってから、タイヤやチェーンなどの部品を換え、なんとか形になったXLだけど、あいかわらずエンジン不調のまま。

ある日、何度目になるかわからないキャブ分解で、キャブのサイドにあるエアカットバルブのダイアフラムに小さな穴があるのを発見。このダイアフラムをつけたまま、とりあえずエアカットバルブ(アクセルを一気に閉じてエンジンブレーキをかけたときにマフラー内でパンパンという現象を抑えるためのバルブ)の蓋に空いているエアの通路を塞ぐと、うそのようにアイドリングが安定したのでした。燃費も一気にリッター30㎞オーバーに。

さっそく、ダイヤフラムを発注・・・しようとしたのですが、この部品すでに旧車であったXL250SとXL250Rにしか使われておらず、1個5000円弱というとんでもない値段になっていました。ばからしくなって、もしかしたらと、ガソリンに強い樹脂シートをバルブの形に切り抜きエアカットバルブの負圧通路を塞いだ形で固定したのです。これを塞いでも、アクセルを戻したときにパンパンアフターファイヤが起こるだけで、エンジンには何の支障もありませんでした。(結局このあとエアカットバルブのない、CB250RSのキャブをつけました。後年のXLRやXRにはついてないので、つまりエアカットバルブは必要なしという見解)


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エンジンが完璧になったかどうか、こんな林道を走ったり


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弟のアフリカツインと高速に乗って、静岡の大井川にかかる木造橋である蓬莱橋を渡ったり。今は歩行者専用ですが当時はバイクで渡れたのです。手すりが低いので怖かったー。


1993年6月、完成したホンダXL250Rで初めての北海道ツーリングに行くにあたり、早速フェリーを予約するため電話の前に待機、午前10時の受付を待ちます。(当時はネットもなく携帯電話なんてもんも持ってませんので会社を休んで電話の前にクラウチングスタート体制で構えてました)

まずフェリーの選定ですが、初めてということもあり、料金が安いが愛知県から170km先の敦賀や230km先の舞鶴まで行かなきゃいけない新日本海フェリーは避け、仕事をお昼で早退しても十分その夜の出港に間に合う、40km先の名古屋発の太平洋フェリーを選びました。(これは正解でした。理由は後述)

何度リダイアルしても話し中が続く電話との戦いの末、行きのフェリーは確保できましたが、1週間後の(2ヶ月前の同日が予約開始日となるため当然帰りのフェリー予約は1週間後にしかできない)帰りのフェリーはアウト。しょうがないので帰りのフェリーは北海道ツーリングの途中の大都市の交通公社でキャンセル待ちすることにしました。


しかーし、まあこれで北海道いけるよねという話をバイク仲間である工場長と話してたら、せっかくだから全バラしてスイングアームとヘッドベアリングを換えようよ、あと大荷物に耐えられるようにリアフレームに補強入れようという話になり、みすぼらしく塗装がやれているこれをフレームまでばらして、ステアリングヘッドベアリングとスイングアームのベアリングを交換。アルミの厚板を会社のプレスブレーキで折り曲げて、リアキャリアとサイドバッグを熱から守るためのマフラーガードを造って装着(結局サイドバッグは無しで行きましたが)。その後ろに工具ボックスを載せるための原付用のキャリアも装着。フレームとスイングアームはサビを落として水性の赤いペンキで刷毛塗りし、エンジンも磨いて黒く塗り直しました。

でもまあ今考えるとこのバイクを買った値段3万円+改造費でBMWで行けたじゃんという。


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土曜日に工場へ持ち込んで


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フレームまでバラし錆落とししてプラサフ塗って


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吊るします。


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この時点ではスプレーガンを使うつもりでしたが塗料が飛び散るので刷毛塗りに変更。水性の赤を使いました。


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エンジンも灯油で洗浄しハゲた部分を塗装。


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日曜日、吊るしたまんまエンジン搭載。ステアリングヘッドとスイングアームのベアリングを交換してスイングアームやサスペンションも刷毛で塗り塗り。


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部品組み込み。刷毛塗りでも意外ときれい。


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いい出来です。


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その後休みの度に作業を行い、タンクは流石にダンボール箱でブースを造ってエアガンで塗装。前フェンダーはパリダカ用に変更しました。


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乗員のスペースを十分確保できるように、大荷物をシート後方にはみ出して積めるよう、5mm厚のアルミ板をプレスで曲げて整形してシートを延長する位置にサポートキャリアを作成、、ついでに振り分け式のサイドバッグを積めるようにマフラーガードも制作。さらに工具を大量に入れた工具箱を荷物の後ろに積むため、スクーター用のリアキャリアを追加装備。この荷重に耐えるようにシートレールとリアフレームの間にガセットとパイプを溶接して補強を入れました(追加箇所は後述、ただこれのせいで重心が後ろに移動し、フロント荷重が減ってしまい乗りにくくなりました。)。いやあ、弱小でも自動車部品加工屋の特権だわー。


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7月31日完成。このキャリアとマフラーガード、大量生産したら売れたかも。


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ただこれだけ攻めても積載量に不安を覚えたので、ライトの上にもハンターカブみたいに、自転車用のキャリアを流用して、かさばるけど軽いシュラフ用のキャリアを付けました。(キャリア単体の写真が見つからず。よく見たらゼッケン部分切ってるね)


*ここから10月31日に見つかった整備ノートからの追記分です。

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おおっ。キャリアの分解図が。フレーム補強位置も。


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こっちにはフロントキャリアの取り付け方法が。シュラフなどの用品の代金も。

この上に総額11万5千円弱かかったと書いてありました。(半分はシュラフや道具類や雨具などだけど)素直にBMWで行けばよかったのに。


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このときに頼んだ部品群。これを見るとエンジンが降りている間にエンジンヘッドも開けてました。デコンプのオイルシール換えてますね。このときこのエンジン恒例のシリンダーヘッドのスタッドボルトを折って、雌ネジ穴をなめたとこより深くドリリング、M6で深くタップを切り直してます。フロントフォークもオーバーホールしてますね。チェーンやスプロケ、リアハブダンパー、リアブレーキシューも新品交換。特にチェーンは当時は珍しかったシールチェーンに交換してます。すげーなこれ、エンジン腰下以外ほほフルオーバーホールじゃん。

上記以外の交換部品:シールチェーン520-100ー9800円。タイヤダンロップ前後で14000円。ほか細々と舌部品に2万円弱。


それにしてもXLR250Rバハはフレームを塗ってもとに戻すのに1年かかったのに、同じようにほぼフルオーバーホールしフレーム塗装と消耗部品の交換、キャリア装着なんかを3ヶ月の休日だけで完成させたのはすごいよね。(まあ工場使えなかったら絶対無理でしたが)


さて完成した時点ですでに北海道への出発まで後1週間というところになっていました。

ただ、これで問題なく終わった訳じゃなかったのです。


なんと出発の6日まえに、仕事中鉄板で、右手の親指と人差し指の間を、4針縫わなくてはならないほど切ってしまったのです。これではアクセルをあけられない。医者に泣きつき(フェリーの予約があるからね)ふつうより多く縫ってもらい、1週間以内に道内の医者に消毒してもらうという約束をさせられ、どうにか出発の準備はできました。

だが、私の運はとことんついてなかった。

出発前日、サイドスタンドの先端部分が地面にめりこまないように、鉄板を溶接したのですが、うっかり左腕を押しつけてしまったのです。溶接直後のサイドスタンドに。いやー見るも無惨な、おおやけど。目の前が真っ暗になりましたね、あんときゃ。

結局、出発当日、包帯でぐるぐる巻きにした両腕をそおっとジャケットに通し、右手はどらえもん状態でグローブ無しのままレイングローブの中に納め(つまり、雨だったんだよお。もお、好きにして状態。)左手はジャケットの裏地にさわらないように、そおっと動かしながら名古屋港へ。痛いし、暑いし、むれるし、もう大変。

オド17105km。

夏休みの2日前に有給を取ったため、港への道は仕事の車で大渋滞。どらえもんの手じゃ、アクセルをうまく微調整できないため、すり抜けは冷や汗もんでした。

途中コンビニで晩飯を仕入れ、18時30分金城ふ頭のフェリーターミナル着。フェリーチケット片道27910円。

手続きを済ませ何とかフェリーに乗り込むと、入り口にたっているクルーが一言。

「ありゃー痛々しいですねー。事故でもやったんですか」

両腕とも包帯巻き。そう思われても当然か。雨の中走っていたため、汗で気持ち悪いのでさっそく風呂へ。困った。・・・両腕とも濡らせない。万歳したまま入っている私をみんなどう思っただろう。

しかし、フェリーはとってもありがたいですねえ。乗船中の2日間で、十分アクセルを回せるぐらいには回復したのでした。

太平洋フェリーを選んだのは正解でした。もし雨の中200km弱走らないと乗れない新日本海フェリーを選んでたら、ツーリング自体キャンセルせざるを得なかかったでしょう。

20時に定刻通り出港。

さあ初めての北海道ツーリング。このドラえもんのような手でなんとか無事終えることができるでしょうか。(到着は8月7日、2日間のフェリー内の記憶も写真も全くないので端折ります)


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2日後、初めて見る苫小牧。8月だというのに20度ぐらいしかありません。気持ちいいー。それにしても今じゃ絶対買わない上下ピンクのオフロードウェアー。(ラフアンドロードとAXO)写ってないけどブーツも赤!のSIDI。当時は恥ずかしいとも思いませんでしたねえ。



1993年8月7日。朝9時半頃。船内放送があと1時間で苫小牧港に着くことを告げます。車両甲板に降りる前にデッキにでてみました。工業地帯らしい景色が近づいてきます。翼よあれが初めての北海道だ。天気は良くないです。それにしても寒い。気温20度。名古屋は35度以上あったのに。ベッドへ戻り荷物の最終チェックをすませベッドの上に忘れ物がないことを確認し、ロビーへ。軽いショックとともにフェリーが着岸しました。到着後30分(バイクは最後)、車両甲板へ降りバイクに荷物を載せます。(バイクは最後に降りるので回りの自動車の排気ガスで息苦しいです)

前方の扉が口をあけ、外の明かりとともに冷たい風が吹き込んできます。と言っているうちに、周りのバイクがどんどん下りてゆき、とうとう私一人になってしまいました。
荷物はちゃんとまとめときましょうね。
気恥ずかしい思いをしながら、最後の1台となった私は、乗務員全員に送られゆっくり下船する羽目となりました。
エンジンをかけ、ランプウェイをゆっくりと北海道へ向けて降りていきます。北の大地にタッチダウン。
さあ、どこへ行こうか。まあ、最初の行き先は決まってるんですがね。


まずは母と離婚し室蘭に嫁さんと住んでいるオヤジの家へ向かいます。実は私より2日前に北海道へ上陸している弟との待ち合わせです。今晩は親父んちに世話になって明日から一緒に走る予定。ただ苫小牧室蘭間はたったの80km。ですので国道276号線で支笏湖へ向かい少し遠回りします。というか海岸線を走る国道36号線はトラックがバンバン走る大動脈で北海道らしさのかけらもないのですぐ離脱したいんです。


苫小牧市街はどこにでもある工業都市の佇まいですが、さすが北海道。国道276号線は郊外へ向かうにつれて内地との違いがひしひしと。道が真っ直ぐです。ただひたすら真っすぐです。これが支笏湖まで続きます。しかも空気が冷たい。8月というより初秋の爽やかさ。うー、R80G/Sで来りゃ良かった。荷物の後ろに重い工具箱(初めての北海道に備えてありとあらゆる工具とチューブなどの予備部品を積載)を積んでるのでフロントが軽くて安定感まるで無し。しかも荷物満載で22馬力の非力なエンジンではねえ・・・。


雨にも関わらず、ジェットスキーがアメンボのようにブンブン走り回ってる、ちょっと残念な支笏湖から親父んちに電話して到着予定を知らせときました。

支笏湖のガソリンスタンドで最初のガス補給:5.3リッター/162kmー678円、30.6km/リッター。


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支笏湖に沿って西進し、気温16度!の美笛峠を越えてフォーレスト276というドライブイン(2019年現在、道の駅フォーレスト276大滝)で休憩。喜茂別で国道453号線へ乗り換え、壮瞥町から道道5号線(現道道2号線に番号付け替え)で未完の旧道が残されているオロフレ峠へ。ここは工事途中で崩落などでルートが変更されて未完のまま残された旧道があり、頂上が展望台となっています。(現在はトンネルで通過)ここには当時は売店がありましたがストリートビューで見たら今はトイレのみになってます。ここで初めてイモモチなるものを食べました。あと蒸してバターを載っけたじゃがいものうまいこと。この売店のおかげで北海道の食い物のメチャクチャな旨さに魅了されたのでありました。


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(93年時点ではまだ現役だった室蘭駅。1997年この右にできた新駅にバトンタッチして役目を終えます。ホントは解体されてここに新駅ができる予定だったのですが、室蘭市の英断で線路を短縮しそこへ新駅を建てて、この駅舎は永久保存されることとなりました)


登別から国道36号線で室蘭へ。お金がなくなったのでお金下ろすために室蘭の駅まで行き、郵便局を探します。当時はキャッシュカードは銀行ごとにしか使えず、全国どこでもお金をおろせるのは郵便局だけだったのです。ただ油断してたんですが今日は日曜日。郵便局が休みで金を下ろすことはできませんでした。まあ、少しは手持ちがあるし、あとは親父んちにたどり着ければいいのでチキウ岬を経由してオヤジのうち到着。弟は雨に振り込められて2日間うだうだしてたとのことでした。

さあ明日から弟とのツーリング開始です。

本日の走行距離 140km。


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deepredcocktail2

私のXLR250 MD22も知人から3万円で入手しました。コケても投げても壊れない頑丈な車両でしたね。ラフ&ロードのジャケットは、色違い(青)のを持ってました。
by deepredcocktail2 (2019-10-28 11:20) 

MHR

deepredcocktail2さんありがとうございます。
オフロード車はなぜか3万円が相場価格でしたね。このジャケット、ベンチの青と赤、ウィンターの青をまだ使ってます。この頃のは作りが良くて頑丈ですねえ。
by MHR (2019-10-29 01:08) 

長野BS LTD

なかなか時間が取れずに…これから一気読みさせてくださいな。
当時を自分も思い起こして&逆に新鮮な気分で拝読するのが、そして写真も楽しいです。
そうですね、ピンクの装備は自分も買わなかったでしょう。
( ´艸`)
でも今こうして拝見すると、とってもお似合いで格好がよろしいですよ。
モトスポーツも派手な出立がアクティブでちょうど良いと思います。
さて、読むかあーwww
by 長野BS LTD (2019-10-31 09:31) 

MHR

長野BS LTDさんありがとうございます。
当時の情熱とか空気まで伝わればいいんですが。
このジャケット、私も何故買ったのか、多分売れ残ってバーゲンしてたんじゃないかと。
あと1996年の写真が行方不明なのでそれを見つけたら記事の準備コンプリートです。
by MHR (2019-11-02 00:39) 

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