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自転車パーツは精密部品。シマノ105のブレーキアーチオーバーホール [ZUNOWの自転車など]

ミヤタのロードについているシマノ105のブレーキをオーバーホールしました。

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今となっては旧型の105。デュラエース、アルテグラに次ぐ3番目のグレードです。

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昔のサイドプルからすると、不思議な構造です。

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まずここのナットをスパナで固定して、ヘキサゴンスクリューを外します。

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中の部品を落とさないよう。

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ここのイモネジを抜いておきます。ギザギザのナットは手で緩みます。

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ただのワッシャーだと思っていたらなんとベアリングです。

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バラして洗浄したらグリスアップして組み付けていきます。

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スプリングの組み付け時に右上に見える青いブッシュの上下を換えるとバネが強くなります。通常はこの向きで。シマノの上級機種はメッキの質がいいので、これぐらいのサビはスチールウールで落ちます。

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このボルトを介して短い方のアームにもテンションをかけてます。

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綺麗になりました。当然前後ブレーキともオーバーホールします。

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ヤマト運輸に荷物を取りに行ったらこんなものが。ボーリングの先端工具です。海底トンネルはこれの超大型版で掘っていきます。


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忘年会なんて大嫌い。 [ZUNOWの自転車など]

金曜日は忘年会でした。

酒は飲めないので食べるだけ。

ひたすら食べるだけ。しかも2次会でも食べ続け、最後の締めでラーメン。

どうして酒飲みは最後にラーメン食べるんでしょう。腹いっぱいで、もう口からラーメンが出そうでした。

しかもそのラーメンが徳島ラーメン、別名すき焼きラーメン・・・。肉たっぷりでもう勘弁って感じでしたが、生来の貧乏人。残すのはポリシーに反します。

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その付けはどっかで払わなければなりません。

で、本日も自転車。午前中雨だったので、上がってから出発。でもさっきまで手に持っていたはずの手袋が見つかりません。家中を探しましたが見つからず、軍手をして出発。こういうときは、バイクのキーが見つからず、スペアキーでカタナに乗ったまま帰らぬ人になってしまった秀吉の例があるので、出かけないほうがいいのかも(わからない人ごめんなさい)

さらに本日は天気も安定していないため、近くのハム工房まで行きます。本日の相棒もサターンです。

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 手作り工房 「山遊里(やまゆり)」

 

いつもは満員のこの店も、さすがに雨上がりなので誰もいません。ダイエットのため何にも食べない・・・・つもりでしたが、ここのジェラードは絶品です。

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イチゴのミルフィーユ 250円。さくさくしてとってもデリシャス。

外に出るとまた誘惑が。

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つきたてもち海苔巻き100円と、ぜんざい250円です。

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帰り道。左奥の切り通しまでずっとのぼりです。ジェラードとぜんざいをここで使いました。

手袋ですが、最初に使おうと思って、容量不足で使うのをやめたフロントバッグにしっかり入ってました。記憶容量が日に日に少なくなっているのが悲しいです。

さあ来週もがんばろー。

本日の走行時間3時間。走行距離23KMでした。


ほんとに復活!ツノダのサターン!道の駅に到着。 [ZUNOWの自転車など]

先週、見事に玉砕した、メタボ対策のための道の駅訪問。

今週こそはと出発準備します。

ここでギア板をとめるボルトが手で回るのを発見。しかも全数。よくこれで先週走れたもんです。

ついでにメーター誤差を修正。これがついていたのは650X38Bだったけどサターンは32B。

直径で12mm違うので、ホイール1回転で進む距離は一周で4センチほど短くなります。

で出発が遅れに遅れて12時過ぎ。

先週の峠には同じ1時間で到着するも、先週と違い体力気力とも充実!いよいよ未知の世界へ。

今回新兵器を投入しました。ずっと前登山用に買ったガーミン。地図は出ませんがGPSで測量した標高がでます。電池が20時間ぐらいもつので、自転車なら車用のハンディナビより使い勝手はいいですね。

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標高はプロトレックの気圧高度計だと530M>GPSでは515Mに。

距離は8.7KMに。ということは先週は10KM走れなかったということかあ。

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ここから豊田市から岡崎市に変わります。平成の大合併の前は下山村と額田町の境でした。なぜここを撮ったかというと。

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旧額田地内に入ったとたんセンターラインは消え、歩道も無くなります。額田町時代はとっても貧乏で山間の道にまで予算が回らなかったようです。岡崎市と合併したためバイパス工事が始まってます。

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で旧額田町から新城市に入ります。ここからは旧作手村となります。村時代からお金持ちなのか、額田から作手になったとたん下のような道となります。

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301号線の下山側。平地に見えますがこっちに向かって緩やかに下ってます。ということは帰りは奥に見える山と山の間まで当然上るわけで・・・・。

じつはここ。この前の死亡事故現場です。しかも歩道を走っていると別の場所でも合計で3か所花束を踏みそうになりました。つまり今まで最低でも3件死亡事故があったということです。よくカーブを曲がれずに事故というニュースがありますがあれは少数ですね。こんなまっすぐの2KM先が見える道でこそ死亡事故が起こるのです。

ほとんど人が歩かない歩道に作られた、この頑丈なガードレールがそれを物語ってます。

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新城側。ここからずっとこういう道が続きます。

見渡す限り緩やかな下り坂です。帰りのことを思うと憂鬱になります。

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横を向くとこういう感じ。

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ここが恋焦がれた道の駅「作手(つくで)手作り村」。寒いためかさすがに自転車はいませんでした。

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到着は午後2時13分。標高475M、距離25KM。気温14度。

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帰りのガソリンを入れます。そば 600円。

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ここの名物、地元産トマトで作ったハヤシライス、700円。これはさしずめハイオクですね。

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おっと添加剤も。

これまた地元産のトマトを練りこんだトマトソフト300円。ねっとりとしておいしかったァ。

外に出るとコルナゴ、ピナレロなど総額数百万円になろうかというロードレーサーが止まってます。

同世代の方でしたが、なんとこれ以外にオールドパーツでTOEIのランドナーをオーダーしたとか。しかもコルナゴを買ってから自転車を始めたとのこと。なんでそっちにいくのー。

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3時発。すでに道が凍結してます。来るとき快適なな下りだった道は当然上り。冷えきった体には、みとおしがよく道がいいだけに逆にこのだらだら上りはこたえます。

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4時峠着。気温・・・・・2.5度・・・。3時までは14度あったのに・・・。山の日の入りは早いッス。

ちなみにこのカシオのプロトレック。時間、温度、高度、コンパス付きの優れもので、経年変化でベルトが切れても自分で電池交換して使い続けてます。

ここからは下り。全速で飛ばして4時40分家着。

走行距離52KM。サターンはその役目をちゃんと果たすことができました。

氷のように冷え切ったつま先をストーブに。あっちっちっち。


復活・・・したのか?ツノダのサターン??? [ZUNOWの自転車など]

日曜日朝。
そこそこのいい天気ですが、風が強く、それが冷たいときてます。
しかし母に健康診断の結果をみられ、自転車復活を宣言してしまった手前、出発せざるを得ないわたし。
そうこうしているうちに11時。
やっと重い腰をあげ復活したばかりのランドナーにこれまた数年眠っていたほぼ新品のバッグをつけます。
こっちがフロント。暑いのやら寒いのやら判断がつかず、ウインドブレーカーや防寒具を一式持って行きます。

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こっちがリアのサドルバッグ。工具とパナソニックのエアポンプが入ってます。
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あと今回の新兵器。
Fフォークにはこれ。

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実はコードレスのメーターでした。上の写真はセンサーで、スポークについたマグネットの磁力をホイール1回転ごとに拾います。その信号を無線でハンドル上のメーターに送るのです。

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家を出て、国道301号線に出てゆるいのぼりをよっこいしょって感じで走ります。
目標は25KM先の道の駅。
バイクなら30分弱で着きますが、自転車だと2時間はかかります。
なぜならずっと登りだから・・・。

「おおっ意外といけるじゃん」

・・・・・・・。
いけるわけがありません。何しろメタボなんですから。

最初の峠についた時点でもう負け。心が負け。
この峠を越えて一度下ってしまうと帰りも又上りです。

「ふふふ、今日はここまでにしてやろう。来週こそまってろよ、道の駅!」とわけのわからないことをほざき道端にへたり込みます。
メーター表示。標高535M。距離・・・・・10KM。走行時間たった1時間。なさけねー。

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この辺、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、学生時代、愛知県から標高1500Mの治部坂峠を越えて信州へ旅立った時のこと。愛知と長野の境の同峠で今回同様の理由で数時間悩み引き返したことがありました。駄目人間は年を重ねても駄目のままです。

今まで登ってきたので180度向きを変えるとずっと下りです。
でもあまりにもしゃくだったので脇道に入り林道を抜けることにしました。
杉林バリバリですが、家から数KMの場所です。

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ここで問題発生。
変速機を軽い方へシフトすると「がしゃがしゃーん」と音がしてチェンが外れました。
どうやら30年近く眠っていた後ろの変速機が、チェーンのたるみを取るのを拒否した模様です。
久々にトゥクリップとストラップで足を固定していたんですが、いつものクリップレスペダルのように足をひねるも当然はずれず(今のレーサーについているペダルは、スキーのように靴を固定し、足をひねると簡単に靴がはずれます)。
どんがらがっしゃーんと自転車ごとひっくり返りました。道路わきに堆積している紅葉の葉っぱに軟着陸して事なきを得ましたが。

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よく点検してみると後ろの泥除けはがたがたいってるし、あちこちゆるんでいるようです。
工具を取り出し微調整と増し締め。

小さな峠を越え、今の自転車とは比較にならないぐらい全く効かないブレーキを、握力で抑え込み下ったら、さっき脇道に入ったところから数百メーターの場所に出ました・・・・・・。

家の前の最後のだらだらのぼり坂についた頃はもう気力も体力も尽きて、結局押して歩く羽目に。

こうしてメタボ対策とは名ばかりの、気持ちだけは100KMは走った自転車デビューは終わりました。

来週こそは道の駅まで、・・・いや、15KM地点まで・・・、せめて峠の向こうまで・・。

追伸:お尻がひりひり・・・。椅子に座れません・・・・。


復活!サターン! [ZUNOWの自転車など]

先日メタボ対策で自転車を使おうとして、結局ばらしてしまったため、倉庫にもぐりこみ使えそうな自転車を探しました。

で、出てきたのがこれ。

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私の世代の人ならきっと聞いたことがある「つんつんツノダのティーユー号♪」。

それの上級版だった「サターン」。1980年ごろのオーダーメイドです。

1970年当時いろんな自転車メーカーがありましたが、ほとんどのメーカーがフラッシャー付きの自転車と同時進行でオーダーメイドを行ってました。

これは5年ほど前にオークションで購入したロードレーサー(ブログ内で紹介済み)のおまけにいただいたものです。

その当時はロードレーサーに夢中で、しかもおまけということで、ほとんどその存在を忘れておりましたが。

今回引っ張り出してみたらすごい部品の集合体でした。

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サドルは当時とても手が出なかったイギリスはブルックスプロフェッショナル。が買えない人の御用達だった、藤田プロフェッショナル。その中の最高級品の銅鋲止め。それを支えるピラーはコンペのマイティの2本締めです。

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BBを含むクランク周りは当時でも入手しにくかったストロングライト49D。しかもチェーンリングはさらに手に入らなかったサンプレックス製です。ペダルは三ヶ嶋シルバンロードかな?

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レバーを含む前後変速機はユーレーサクセス。一部チタンの上級品。(だと思います。なにしろ当時のユーレーの資料が無いんです)

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ハンドルは非常に珍しいフィリップ。たぶんロード用です。ステムは吉貝コンペ。1枚目の写真で妙にハンドルが高いのはこのステムがむちゃくちゃ長いためです。何とか低くしようといっぱいに差し込んだのですがこれ以上はいりませんでした。後で対策を考えます。

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ツノダのマーク。

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と、サターンのマーク。

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ブレーキは定番マファックではなく、当時国産最強だった島野600。この造形が気に入っていたそうです。

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オーダーの証、泥除けの隠し止めとブリッジのひし形補強板。

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これまたオーダーの証。ブレーキワイヤー内蔵処理と2本巻きクローシートステイ。ラグはイタリアンカット。塗装はパールピンク?

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ハブはサンツアー。スポークはステンレス14番のプレーン。リムはスーパーチャンピオン650B。タイヤはもうほとんど現存していないであろう、ウォルバースーパーランドナー650x32B。当時ものなので新品なのにヒビだらけです。まあすぐに破裂することはなさそうなのでしばらくこれで。

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ヘッド小物は丹下レビン。

今回の復活でつくづく思ったのですが、高い部品は軽く磨くだけで復活しました。

さびが出ていても軽く磨くときれいに落ちるのです。めっきの質がすごいです。

1980年当時でおよそ20万円かかっているはずですが、30年たった今でもタイヤを換えれば北海道まででもいけそうです。1年あたりの償却は1万円以下。安い買い物なのでは。ってただでもらった私が言ってもねえ。

さて今回一箇所だけ部品を変えました。さてどこでしょうか。これだけで1枚目の写真にあった間延びした感じがなくなったと思います。

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そうです。ハンドル周りを分解した自転車からいただきました。年代も部品構成も似たもの同士だったので数分の時間で交換完了。特にブレーキレバーが同型だったためワイヤーを交換することなく装着できました。(メーカーが違うとワイヤーの付け根のワイヤーを受けるカップを入れ替える必要があります。)

ただひとつの欠点。それは私の身長ではフレームが2インチほど小さいこと。

そのせいでランドナーなのにやたらハンドルが低くなってしまいました。まあこれはこれでかっこいいですが。

あと、このランドナーをいじってるうちにオークションに介入してしまいまして。

こんなん買ってしまいました。

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私が中学生ころ発売されたカンパニョロのグランスポーツです。手に入ったときは小躍りしたくらいあこがれ続けた初恋の人。今度はこれが似合う自転車を・・・・・・。どこに行こうとしてるんだ俺・・・・・。

 

 


35年目のオーバーホール*愛しのZUNOWランドナー [ZUNOWの自転車など]

健康診断でメタボ宣告を受け、「食生活の改善と、運動を!!!」ときつくいわれました。

何しろ中性脂肪が、健康といえる上限値120ぐらいをはるかに、というより「死ぬぞ」といわれる850もある!といわれ、一番身近な自転車復活を目指し、倉庫から引っ張り出したのがこれ。

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今52歳の私が16歳のときに自分で組んだランドナー、ZUNOW。

最新のロードももっているのになぜこれ?

ウェアが似合わないんです。あのぴっちり姿が。脂肪たっぷりの腹が釣り下がったあのポジションが。

これだったらぼってりした服が着れます。いや、切実な問題なんです。このことが。

で、引っ張り出したのはいいんだけど、最後に乗ったのが3年前のゴールデンウィークの四国はしまなみ海道。

輪行したのでフレームが傷だらけで猛烈にさびてます。

そこで思い切ってフレームを塗装することに。

それにはフレーム単体にする必要がありますので10年ぶりぐらいに分解しました。

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こんな感じにさびてます。下地にまで及んでそう。

まずはブレーキ周りや変速機周りのワイヤーを抜きます。

さて、もともとフランスやイタリア生まれの自転車パーツには特殊なサイズのボルトやナットが使ってあり、特殊工具が必要になります。(といっても15mmや9mmのスパナがメインですが)こいつはミカシマから発売されていたペダルレンチ。文字どおり輪行の際ペダルをはずすための工具ですが、携帯するため二つに折れるようになってます。ペダルをはずさなくても輪行できるようになった、今でもあるのでしょうか。ちなみにペダルのねじは右ペダルは右ねじ、左ペダルは左ねじになっています。これはクランクを回した時にねじが締まる方向だからです。

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これは実はペダルだけではなく,輪行ではずすハンドルステムもはずせるようになっています。ハンドルは日東ランドナー、ステムは吉貝のコンペです。会社なくなっちゃいましたねー。

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しかし今はこんな便利なペダルがあります。根元の黒い樹脂クリップをはずしてぎざぎざの部分をクランク側に押し込むとと手でペダルが抜けます。ミカシマ製。

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ブレーキワイヤーを吊るこの金具は9mmという通常使わないねじでとまっています。

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ブレーキワイヤーはフレームの中を通ります。

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フレームパイプをつなぐラグはフランスのナベックス社製のコンチネンタルカットラグ(唐草模様とでもいうのでしょうか。これに対してシンプルなイタリアンカットラグ、ラグなしでフレームつなぐラグレスがあります。)ナベックスっていまでもあるのか?

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次にブレーキ本体をはずします。

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ブレーキはフランス、マファックのタンデム(2人乗り自転車)用。通常品と比べるとアームが長いです。このボルトもフランスサイズ。しかも頭の厚さが3mmほどしかないなのでぴったり合ったスパナが必要。なめてしまったら当然市販品のボルトは使えません。慎重に慎重に。

お次は一番大物、クランク抜き。まずはキャップをはずしますが、なぜかペダルレンチに工具がついてます。クランクは今はなきスギノのプロダイナミック。ギアはフランスのTA製。当然TAのクランクというものも存在しますが学生当時は高くて買えませんでした。クランクキャップは当時の純正です。

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これがクランク抜き工具。

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ボルトをはずした後ねじ込んで、反対側を締めこむとクランクが押し出されて外れます。

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クランクはこういう風に勘合してます。ここのねじ(ベアリングのワンといいます。)はペダル同様、右側が右ねじ左側は左ねじです。これも緩み防止のためです。通常左側をいっぱいにしめこみ、右側のワンでベアリングのあたりを微調整します。しかし今ではシールドベアリングを使った一体式のモジュールを、左右のねじでフレームに留めるだけでスムーズにクランクが回転する方式が一般的です。

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年季が入ってます。歯数はキャンピング仕様の46X28。こちら側の雌ねじをはずすには特殊な工具が必要です。

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このあとチェーンを切り、変速機(ディレーラーといいます)をはずします。

フロントリアともフランスのサンプレックス。メーカーはなくなったようですね。

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あと泥除け(フランス、レフォール製)やダイナモ発電機(フランスソービッツ)、ライトコードなどをはずして今日はおしまいです。

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実はあとクランク軸を抜くという大仕事が残ってますが、専用工具が行方不明で後回し。

まずはさび落とし。つらいなあ。


30年物のロードレーサー その1 [ZUNOWの自転車など]

家のどこかで眠っている自転車たちをちょこちょこ紹介してみようと思います。
数年前にオークションで発見、一目ぼれして購入した、名古屋イシハラのフルオーダーロードレーサーです。


購入動機その1:コロンバスパイプである。しかも希少な特殊なパイプを使用している。
購入動機その2:カンパニョロのエンド、ワイヤーリード、ヘッドパーツである。
購入動機その3:にもかかわらずカンパのパーツを使わずサンツアーシュパーブプロの限定品フルセットだ。
購入動機。。。えーいめんどくさい。一目ぼれに理由はいらねーよっ!。


というわけで乗らないままでいましたが今日初めて道路に。
9.8kgという車重は、当時としては超軽量。
にもかかわらず超重量車のような猛烈な直進性はすごいの一言。
羊の皮をかぶった、麗しの白い美女といってもいいでしょう。



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自転車でもGPS [ZUNOWの自転車など]


今回、前に紹介した自転車で故郷の佐賀の写真を撮りに行くことにしたのですが、愛知に出てきて40年もたっているので、道案内のためハンディGPSを持っていくことにしました。
MIOJAPANのP350という機種で、オートバイ用に買ったものです。
購入時、車のHDDナビの地図をバージョンアップする必要に迫られたのですが(すでに完成している伊勢湾岸、東海環状などの高速が地図上にないので不便)、バージョンアップに25000円かかるため、安いやつがあればナビごと買ってたほうがいいのでは?と思ったのです。
49800円というかなり安めの価格にもかかわらず、自動車用とバイク自転車に登載するためのブラケットと電源をすべてセットしているため、充電すればすぐ使えます。
本体はPOCKETPCというPDA(電子手帳?)で、WINDOWSMOBILE5.0という、CEベースのOSを搭載し、GPSは1個のソフトとして起動して使います。


写真は自動車用の吸盤固定のブラケット。
自転車用とオートバイ用は兼用で、保持部分のみをハンドルにバンドで固定します。

購入してよかったと思う点は以下のとおり。

*充電式でアンテナ内蔵なので本体だけで使える。
*すべての操作をタッチパネルで行える。
*この大きさで全国すべての地図を内蔵している。
*駆動部分を持たないので、衝撃に強い。
*外部アンテナが付属しているが、内蔵アンテナだけでも車のドリンクホルダーに置いた状態で衛星を拾う。
*PDAなのでワードやエクセル、予定表などを搭載している。
*速度表示ができるため、自転車のスピードメーターとして使える。
*シガープラグ、100Vプラグとも付属しているので電源に困らない。
*IEを搭載しているのでSDカードタイプの無線アダプターを追加すればネット閲覧ができます。ただし画面サイズがこんなんだから見にくいったらありゃしないけど。
*ソフトが全て本体にインストールされている。さらに新規ソフトのインストールには外部SDカードを使えるため、記憶容量が不足することはない。

逆に欠点は
*なにが電気を食うのか、自転車で使う場合、1回の充電で表示を出しっぱなしだと実測2時間ぐらいしか使えない。省電力モードにすると、一定時間で画面が消え、画面を触ると再表示するのだが、同時に触ったところに地図が移動して、案内が止まってしまう。そのたびにいちいち案内開始ボタンを押すことになる。ただ、これは画面じゃなくGPSの立ち上げボタンを押せば再表示することに気づいたのでまあいいか。
*液晶がバックライト式なので明るくすると電気を食う。暗くすると昼間は見えないというジレンマと戦うことになる。
*自転車用とうたいながら、防水性が全くない。
*表示されるボタンが小さいので指先で押しにくい。
*時々メニューボタンが消えてしまい操作できなくなる。
*徒歩、自転車、自動車と3個のモードがあるのだが、自動車モードだと運転中操作しないという大原則に従うため、完全に停止しないと画面操作できない。しかも、GPSの現在地表示が不安定で実際は止まっていても動いていると勘違いするため、一切の操作ができなくなる。
*登録している地点(たとえば自宅と会社)間のルート検索をする場合、メニューを開く>検索メニュー>登録スポット>ローカルスポット一覧>会社>目的地に登録>登録OK?>OK、自宅>開始地に登録>登録OK?>OK、ルート検索という手順をきっちりやる必要がある。これが面倒臭い。経由地点を入れたらさらにつらくなる。
*セットした目的地の方向が矢印で表示されない。現在位置からどっちへ行っていいのか分からないので自転車ではこれは困る。多分これが最大の欠点。
*WINDOWSの仕様か、勝手に電源が入り電池を消耗していく。
*SDカードを挿すと勝手に電源が入ってしまう。そのため、スロットからアンテナ部分が突出す無線アダプターを挿しっぱなしにしておくと、ケースで押されて電源が入ってしまう。抜いておけばいいのだが・・。

こんなところかなあ。
今回佐賀市内から佐賀空港まで約20KM走ったのですが、なんやかんやいいながらもしっかり役に立ちました。

ただ、こいつ姉妹機にC310というGPS専用機がありますが、GPSとして使うのならこちらがおすすめ。WINDOWSMOBILE5.0はバグります。C310は実績のあるCE搭載です。
しかも同じフルセットでも4万円そこそこでで購入できます。
大は小を兼ねません。単機能が一番!。
ただし、私のがまあまあ問題なく動いているだけで、MIOのサイトでフォーラムをのぞくと結構トラブルもあるみたいなので、一度全部目を通してみて下さいね。

http://www.mio-tech.jp/products/index.html

ちなみに下の写真、北海道ではありません。
佐賀空港と佐賀市内を結ぶ道。(撮影者の背中側に空港があります)
なんとここから8KMぐらい直線道路が続きます。
完全な平地で高い建物がないため、左奥に約12KM先にある県庁の建物が見えます。

写真の位置はここ

佐賀空港からの直線道路

GPSいらねーじゃん。


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40年ぶりにふるさと佐賀へ [ZUNOWの自転車など]

2006年8月10日午後5時、山積みの仕事をすっぽかして、ふるさと佐賀に向かって出発した。

今回は同僚の長崎への帰省に便乗する形である。

荷物は佐賀での足になる輪行した自転車(昔の折りたたみ自転車ですな)と、ニコンのデジタル一眼レフD-70、データや情報を見るためのノートパソコン、自転車用のナビゲーション、そして3日分の下着類。

向こうでの宿泊は、親戚の家ではなく無線ランが無料で使える駅前のビジネスホテルにした。

親戚の家に泊まるとあちこちあいさつ回りをしないといけないため、自由時間がなくなるからだ。インターネットもないし。

今回の目的は生まれた町を写真に収めてくること。

佐賀を出てからすでに40年。

家まで表示されるネット地図(its-moナビ)で見ると、生まれた家も育った家も今は道路となっている。

それをこの目で見てきたかった。

実は佐賀の写真にはもうひとつ使い道がある。

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今描いている、佐賀を舞台にした漫画の背景である。


8月10日夕方5時30分。

同僚のノアに乗りこみ豊田ICへ。

さすがに一般の夏休み2日前に休んだため、通常の夕方の混雑でしかない。

東名から名神に乗り、順調に快走していたが、そこはそれ、トラックが休みじゃないので天王山トンネルの手前から大渋滞し、約20KMのろのろ運転が続く。

しかしこれも山陽自動車道に入るまでだった。

ところがしばらく行くと前も後ろもトラック、トラック。

車の少ない中国道にはいるべきだったなあ。

平均速度90KMでおよそ500KM。

広島の安芸SAでガスを入れた。

リッター10KM。

2000CCなのに2400CCのエスティマより燃費が悪い。

やっぱり高速道路(だけ)は大排気量が強いなあ。

それにしてもおかしな話だが、今月に限り高速道路のSAの方が下道のスタンドより値段が安い。

これは高速のGSが月末まで値上げできないという規則があるかららしい。

おかげで高速道路に給油だけしに来る車があるため、混雑がすさまじい。

だから東北へ行った同僚は高速道路上で給油できず、わざわざ下に下りる羽目になったといっていた。


8月11日午前3時、とうとうやってきました。本州最西端の壇ノ浦SA。

目の前にはイルミネーションをまとった関門大橋が。

海峡を挟んでわずか700M先に見えるは九州の地だあ。

そういえば、車でこの橋を渡るのは20年ぶりぐらいだなあ。

とりあえずここで朝まで仮眠を取ることにした。

朝6時にあまりの暑さに目が覚めた。気温はすでに30度オーバーである。

霧にむせぶ大橋を写真に収めSA内に行って、そこに並ぶ九州物産を目で堪能した。

ラーメンがあるが、本場とんこつラーメンはやはり九州で。

ということでここでは何も腹にいれずに出発。

最初の予定ではこのまま高速道路を佐賀まで突っ切る予定だったが、時間がたっぷりあるので福岡の古賀ICで降りて、海ノ中道海浜公園をのぞいてみることにした。

おおっ、これは・・・。

私が福岡で仕事をしていた30年前は、この島は貧相な海水浴場があるだけの島だったのだが、今じゃ一大レジャーランドではないか。

あいにく朝早いためどこも開業していなかったので素通りするしかなかったが、機会があればもう一度訪れてみたい所である。

さらに岬まで行ってみようと先に進むと突然道が途切れた。

そうか、ここは17年に地震に見舞われたんだった。

まだ復興の途中だったのである。

同じ道を引き返し、福岡市内を抜け、一路3号線を南下する。

そろそろ腹が減って来たので、次の目的地は久留米ラーメンの雄、丸星ラーメンセンターにした。

気をつけてみていないとあっという間に通り過ぎそうな、バラック立てのラーメン屋だが、テレビなどで有名な店である。

中に入り食券を買う。

ラーメン1杯350円。

どひゃー。何年前の価格だよー。

ほんとに危うく見落とすとこだった。まさかこれが全国的に有名なラーメン屋だとは思えないクラシカルな(いや、ぼろ?)外観。

引き戸を開け薄暗い室内に入ると、外気温35度オーバーとは思えない、真冬のような涼しさ。これもサービスのうちか。

あまりの寒さに、エアコンの風が及ばない、エアコンの真下に席を取る。

待つことしばし、懐かしい香りをまといながら出てきました本場のとんこつラーメン。

口に入れると・・・・。

げーっ。濃すぎるよーこれ。

先祖代々水を継ぎ足しながら煮詰めたというとんこつスープは、薄味の佐賀のラーメンしか知らない身にとって、異次元の味だった。

久留米ラーメン恐るべし。


さて、佐賀に行くのには、もっと手前の鳥栖で右折して長崎方面に向かえばいいので、久留米を通る必要はない。

実は久留米方面に来たのには理由があるのである。

ここから右折して有明海に面した大川市に向かう。

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目的地は、福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町を隔てる筑後川にかかる昭和10年建造の現存する可動橋としては最古の「筑後川昇開橋」だ。

今回の佐賀行きの目的の半分はここである。


昇開橋というのは文字通り昇って開く橋の事で、その昔国鉄佐賀線を通すときに筑後川を昇っていく船を邪魔しないように考えられた。

筑後川が流れ込む有明海は、干潟で干満の差が激しく、満潮時には橋のすぐ下まで水が来てしまい、橋の下をくぐることができなくなってしまう。

そこで、橋の真ん中を船が通るときに約15Mぐらい持ち上げるという方法でこれを解決したのである。

ただし佐賀線はすでに廃線となっており、現在は遊歩道として使われている。

実は佐賀に住んでいた子供のときはこの橋の存在なんか知らなかった。

3年前いとこの結婚式が行われたロイヤルパークホテルがこの橋のまん前にあり、窓からぼおっと眺めていたら橋がゆっくり開閉していたのが見えたのである。このときは時間が無くこの橋をじっくり見ることはできなかった。

そこで今回はこの橋を渡ってやろうとこの地にやってきたのだった。 

いとこの結婚式があったロイヤルパークホテルは、橋の北側にある中洲の南端にある。

福岡側から橋を一個渡り、まずはホテルのある中州から橋を眺めてみる。

写真で見た、ずっと昔、蒸気機関車が渡っていた光景に思いをはせる。

手が届きそうな距離から写真をとりまくってから、さらにもう一本橋を渡ると佐賀県である。

川に沿って南下すると公園があり、昇開橋の佐賀側の入り口となっている。

よく見ると橋が降り始めているではないか。

全力疾走で(傍から見るとたぶんよろめきながら)橋の中央部へ。

同僚と子供をそこへたたせて記念写真を撮る。

向こうへ渡りたいが、時間表を見ると往復する頃には橋が上がってしまい戻ってこれない。

どうしようか迷っていると、管理している親父さん2人が昇降部分の向こう側で手招きしている。

「写真撮んさんない橋ばあぎゅうか?」(写真撮るなら橋を上げて見せようか)

「いえ、そっちいったら帰ってこれなくなるから」

「いいけん、きんしゃい。すぐに下げてあぐっけん」(いいからきなさ

い。すぐに下げてあげるから)

なんと私たち3人のために目の前で何回も橋を昇降させてくれたのだ。

もう感激しまくりである。

この2人、一人は佐賀県の職員、一人は福岡県の職員だそうだ。

2つの県で共同して橋を維持しているのである。

パンフレットを貰い、公園の売店でおばちゃんの佐賀弁を堪能し、十分満足して後ろ髪をひかれる思いで出発。

さあ、あと15kmで生まれ故郷、佐賀市だ。 


8月11日昼12時。

予定より半日早く佐賀駅前に着いてしまった。

予定としてはここでおろしてもらい、ホテルのチェックイン時刻まで自転車で佐賀探訪としゃれ込むつもりだったが、・・・気温が38度。

とても外を自転車でぶらぶらできる気温ではない。

歩きなら冷房の効いたバスが使える。(ここ佐賀はバスが縦横無尽に走っていて自動車の要らない町なのだ。)

そこでホテルに頼んで、チェックインの3時まで自転車と荷物を預かってもらうことにした。

ここで、同僚の都合しだいで13日にまた拾ってもらうことにしてお別れをし、ニコンのデジタル一眼レフD70を抱えて、小学校卒業まで12年間育った家を探しに行く。

道路そのものの配置がすっかり変わっているので、子供のときの記憶を頼りに、まず基点となる場所を探す。


記憶その1

そういえばうちの前が大きな紡績工場だった。

記憶その2

うちの前に川が流れていて、斜め前の交差点そのものが大きな橋の上にあった。

記憶その3

3軒となりが醤油工場だった。

記憶その4

近くに江口病院というのがあった。


まず記憶その1とその3とその4はあっけなく見つかった。


地図上では紡績工場はなくなっていて、「どんどんどんの森」という公園になっている。

で、まずは佐賀駅前を出発し、西へ歩いていく。

おおっ、江口医院の看板が電柱に掲げてある。まだつぶれてなかったか。

さらにいくと、むかし紡績通りと呼ばれていた道にぶつかって今度は南に方向転換する。

とすぐに「どんどんどんの森」は見つかった。

さらに行くと。

歩道に、傾きかけた木造の古い建物がはみ出している。

正面に廻ると醤油屋さんだった。

40年のときを経て、子供のとき見たのと同じ建物がまだ建っていたのである。

そういえば一升瓶を抱えて行き、樽から小分けしてもらっていたなあ。

とここで突然の雨。

公園内にある建物に避難する。

す、すずしー。冷房がきいてるう。

結局ここで、冷たいお茶を飲みながら、うだうだとすごしてしまった。


記憶その2の交差点は建物の斜め前にあった。

間に川が流れていて、交差点は橋の上にある。

天神橋交差点。

子供の頃は神野町紡績通りという名前だったよなあ。


この交差点から2軒目が育った家だ。

2階建ての2軒長屋の1階を店に改造して「一茶」というお菓子屋さんを営んでいた。

左隣が魚屋、その隣がラーメン屋、なぜか向かいも魚屋、その隣がかまぼこ屋、その先の同級生の家は「モリナガ」というスーパーマーケットで、右隣が雑貨屋、その隣が醤油屋・・・・。

この一角だけでほとんどすべての商品が手に入ったから冷蔵庫がなくても困らなかった。


家のあったはずの場所。そこは駐車場になっていた。

裏庭だった場所にはガレージが建っている。

向かいにあった商店の数々は撤去されて歩道となっていた。

いずれあの醤油屋さんも建て換わるか移転するだろう。

12年間の思い出だけを残して。


その歩道を、当事通っていた小学校へと歩いてみた。

木造だった小学校は、まっるっきり記憶にないものへと変わっていた。


いろんな思いを胸に、もと来た道を戻る。

3時ちょうどにホテルでチェックインを済ませ、がんがんに冷房を利かせた部屋に自転車とザックを担ぎ込み、、今とってきた写真の整理を始めた。

そう、今回はインターネットができるホテルを選び、そのためにパソコンを担いできたのだ。

 

8月11日午後3時。

気温は相変わらず。

宿泊は佐賀駅前のサガシティホテル。


ネットで予約したビジネスホテルである。

全館無線ラン付。

ホテルには珍しく大浴場付。

部屋に入ると、電気ポット、ドライヤー、テレビ、冷蔵庫、金庫はもちろん、ズボンプレッサーまで付いている。

さらにテレビを探っていくと、通常1000円とられるHチャンネルが無料!(今まで止まった所は1000円でカードを購入し

テレビに刺さないと見られなかった。すいません。いつも見てしまいます。汗・・・。)

これで1泊4500円である。

カプセルルームに至っては、2100円で泊まれる。

今回2泊した。

さっそくエアコンを全開にし、シャワーを浴びる。

ああ、極楽…。


登山用のザックからノートパソコンを取り出し、カメラと接続、

データをダウンロードする。

カメラはニコンD70。

今回は写真命なので、重いのを承知でデジタル一眼レフにした。

大きく重いが、一回の充電で1500枚は撮れるのでコンパクトカメラより重宝する。

(実際今回1000枚弱撮影したが、5日間充電不要だった。)

そして撮ってきた写真をじっくりと眺める。


うーん、40年もたちゃこうなるわな。

なにひとつ残っちゃいない。

でもそれでも、ここは故郷だ。

エアコンのあまりの快適さに6時まで熟睡。

夕食は駅前のラーメン屋「山小屋」。筑豊ラーメンのチェーン店である。


さて、今回の旅行では1つの目標を立ててある。

それは3食ともラーメンを食べること。

このために親戚と一切顔を合わせないという、不義理をしているのだ。

私が子どもの頃は、しょっちゅうラーメンの出前を取っていた。

ラーメンは主食と言ってもよかったのである。

だから通りに一軒はラーメン屋があり、それぞれ独自の味を誇っていた。(ただしベースはとんこつのみ)

初めて佐賀でラーメン屋に入ると面食らうと思う。

メニューはとんこつラーメンと餃子、ライスだけ。

テーブルの上にはやまもりの紅ショウガとにんにくのすりおろし。

そして、最近有名になった替え玉。

ラーメンの麺だけをお代わりするという、昔からの伝統である。

餃子込みで850円。

まあまあおいしかった。が、望んでいた味ではない。


ホテルへ戻り、運転の疲れもあり熟睡する。(うそ、Hチャンネルを堪能した)

ああ疲れた。


8月12日土曜日。

8時に起き、自転車とカメラの準備をする。

2泊するため、いらない荷物は置いたまま、カメラとGPSを持っていくにとどめた。


カーテンを開けると…快晴。陽炎が立ってるよ。ううっ、暑そうじゃー。


ホテルの前に輪行袋に入れたままの自転車とカメラバッグをおろし、自転車を組み立てる。


今日の予定は、空港のない県返上の旗の下、最新設備を投入して建設された、佐賀空港の写真撮影だ。

昨日一日で当初の目的(生家を探す)はクリアーしたため、本日からは第2の目的である漫画の背景用の写真撮影なのである。

愛知県に住みながら漫画の舞台を生まれ故郷の佐賀にしたため、リアルタイムの背景がほしいのだ。


佐賀駅を出発し、主要道を避け住宅内の狭い道を行く。

佐賀は広大な平野にある城下町で、ありとあらゆるところに水路が張り巡らしてあるので、自転車で走るのにもってこいだ。


外に出ると雲行きが怪しい。

今回雨を想定してなかったのと荷物を減らしたかったので雨具がない。まあ、この暑さじゃ濡れたほうがましだしね。

一応カメラとGPSをビニール袋でカバーしておく。

川沿いに下っていくと(下るって言っても平地だけど)目の前に広大な平野が広がり、はるかかなたに多分空港の管制塔であろう建物が見える。

そう、佐賀では10KM先にあるビルが見える。

GPSで現在位置を確かめながら南下すること1時間。

やっぱり管制塔だった。


空港に着くとカメラを抱えて写真を撮りまくる。

駐車場は結構埋まっている。

中に入ると、涼しー。


実はここに来るまで「冷房してなかったら」とか「開いてなかったら」とか心配していたのだ。

なぜなら、この空港、1日に7便しかないから。


空港が開港した年、名古屋空港を飛び立った弟と母がこの空港に降り立った。

その便は今はない。

採算が取れなかったため名古屋<>佐賀便は1年でなくなってしまったのである。

今や東京から5便と大阪から2便があるのみ。

それもお盆とお正月以外は閑古鳥が鳴いている始末。

そんな建物を1日中全館冷房しているとは到底思えなかったのだ。


今回の写真は、そんな空港が閉鎖になる前に撮っておこうという気持ちがなかったとはいえない。

がんばれ佐賀空港!


そう言えば空港屋上から目の前に見えたのは、雲仙普賢岳ではございませんか。

手が届きそうなのに、そこはもう長崎なのだ。

これじゃ場所の分からない県ベストテンに入るはずだ。

(福岡の隣は長崎という誤解は今でも聞く。)


2時間ほどすずしい中、写真を撮りまくって出発。


帰りは空港線と呼ばれる道路を走る。

この道、なんと約8KMほど直線が続く。

しかも全くの平地なので、空港を出たところから12KM先にある県庁隣のホテルニューオータニが見える。

熱風の吹く中、ずっと先まで見通せる、まるで北海道のような直線道路を北上するのは自転車にはつらかったぜー。

ホテルへ戻り冷房満喫。

SAGAJO.jpg
(ここで力尽きたのか記事が途切れてます。続きはいずれ・・・・)


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今も現役 1972年製 ZUNOW:ズノウランドナー [ZUNOWの自転車など]

昨年の5月の連休以来、1年ぶりにランドナーを引っ張り出し、故郷の佐賀へ行ってきました。
佐賀行の日記はこちら 途中で力尽きてます。
https://ducatimhr900.blog.so-net.ne.jp/2006-09-07

片道は帰省する同僚の車に乗せてもらい、帰りは気ままに新幹線でという計画です。
さてこの自転車、16歳のときに2年分のバイト代をつぎ込み、1972年にフレームを購入して自分でパーツを組んだ物で、それからすでに34年も経っておりますが、数年前レストアをし、パーツを入れ替えながら現役で走ってます。
作成当事からの部品および交換部品は以下の通りです。

フレーム:ZUNOW(ズノウ) 1972年セミオーダー 560mm 石渡022フルセット コンチネンタルカットラグ ナベックス650Bクラウン マファックカンティ台座 サンプレックスWレバー台座 ストレートドロップアウトサンプレックスRディレーラー台座 ボトル台座 ポンプペグ ブレーキワイヤー内蔵 コード内蔵 マッドガード隠し止め 輪行用ヘッド小物 プロダイW用BB 塗装1回やり直し

サドル
フジタプロフェッショナル革サドル
サカエロイヤルピラー
サンプレックスシートピン>>>クイックレリーズに交換

変速関係
F変速機:サンツアーサイクロン>>>サンプレックスプレステージFディレーラー
に交換
R変速機:サンプレックスプレステージ>>>スーパーLJに交換
Wレバー:サンプレックスプレステージ>>>同じ物の新品に交換
クランク:プロダイナミック 165mm
チェーンリング:TA 46X28
ペダル:ミカシマクイル>>>三ヶ島イージーペダルに交換
トゥクリップ:三ヶ島スチールLサイズ>>>同じ物の新品に交換
ストラップ:クリストフ革>>>新品に交換

ホイール(自分で組んだ)
スーパーチャンピオン650B
星ステンレス14番プレーンスポーク
サンシン スモールフランジ クイックレリーズハブ
ウォルバー650X42B>>>ナショナル650X38B>>>三ツ星650X38B
チューブ 三ツ星650X38B

ブレーキ
マファックカンティ>>>マファックタンデム用に交換
シューシマノカンティ用
ステンレスワイヤー
滑車チドリ
アウター ステンレススプリング
ダイヤコンペ フーデットレバー アジャスター、クイックレリーズ付

ハンドル
日東ランドナー(上下平行)
GB 65mmステム
アルミ チンカンベル直づけ
綿テープ
メーター シマノワイヤレス

ソービッツ6V3Wダイナモ
ソービッツライト
キャッツアイ反射鏡

レホール650B亀甲ガード
カン付クイックレリーズねじ
アルミ Uステー

ニットー8mmカンティ用パイプキャリア
Fバッグ カンガルー

今回の旅行用にナビを購入しました。
ミオ C350

まあこんなところです。
まだまだ現役でいけそうです。
当時でフレーム8万円、部品代7万円、計15万円かかりましたが、34年も持てば十分お釣りがきます。高ければ大事にしますから、安物は買わないほうがいいですよ。



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